2009/11/20

事業を仕分けてどんな国家をつくりたいのか。(2)

(先のエントリーの続き)

また、今回の刷新会議では、地方への移管が決まったものも多い。
地方への移管というと、最近の地方自治重視の流れから聞こえはいいが、今後の地方と国の関係をどうするのか、という大局的な判断なしに、各事業について拙速に決めてしまっていいのだろうか。
2000ほどの地方自治体に任せて本当に大丈夫か、というあたりが非常に心許ない。
というのは、地方公共団体への権限の移管が進めば、必ず落ちこぼれる自治体も出てくると思うからだ。
大都市のように国に権限委譲を要求し自由度を高め、独自性を打ち出した地方自治を行う意欲と能力を兼ね備えた自治体ばかりではないのだ。
バブルも末期、「ふるさと創生事業」の名の下に1億円ずつ地方自治体ごとにばら撒いた事業が行われたことがあったが、宝くじに費やしたり、どうしょうもない箱物をつくったり、活かしきれなかった自治体が多々あったことが思い出される。

国の組織がやれば安心、ということを言うつもりはないし、個人的には例え、潰れる自治体が出てこようとも、自治の意識を高め行政への市民の参加を促すためにも、地方分権は進めたほうがいいと思っているのだが、それでも、現在、国にそこまでの覚悟があってやろうとしているのか疑問であり、なし崩し的に進んでいるように感じられる。
勿論、今回委譲される個々の事業で、すぐに地方がその運営に失敗する、ということはないだろうし、効率の観点から望ましいものも多かろう。
しかし、そもそも地方自治体と国家の関係をどうするのか、政府の意向、コンセンサスが曖昧なうちに、そのあたりを意識しないで、個別の事業だけ見直し移管を進めるのは危うい面があると思われるのだ。

誤解のないよう繰り返すと、今回の事業仕分け、各事業の実現性や効率性といった観点からの刷新が不要だ、と言いたいのではない。
事業仕分け自体は画期的な試みだし、有用だろう。
しかし、刷新の基準のレベルは2段階が必要、と思うのだ。
「どういう国家像を目指すのか」というレベルの下に、今回の「事業の実現性、効率性」と言ったレベルの判断があるのではないか。
そして、第一段階のレベルで基準があまりに曖昧で不明確なのだ。
逆に、例えば、スパコン見直しについて科学技術に対するスタンスが曖昧だと書いたが、仮に今後日本は何を差し置いても科学技術立国を目指すべく傾注する、との方針があったとしても、だから今回のスパコンの見直しは間違いだった、と即断はできない。
(上にもリンクを張った)池田氏の批判のような問題点、有用性、実現性、効率性、公平性や手段の適切さの検証は必要であるし、有効である。
各事業におけるそうした点は、これまでの行政で欠けていた視点であり、「お役所的な」仕事は見直されるべきだ。
その意味で今回の事業仕分け自体は避けがたいものであり、それが公開性を高めて行われたのはよいことだと思う。

それから、今後の国家像が見えないと指摘したが、当然、これには刷新会議だけの問題ではなく、寧ろ鳩山政権の政策方針の不明確さや、政治がビジョンを持てていないことが指摘されよう。
民主党のマニフェストはあったものの、ありとあらゆる方向に「いい顔」をしていて、大きな絵は描かれておらず、それぞれの分野を比較したときの優先度、限られた資源をどう分配するか、は曖昧なままだ。
明確にこうだ、という文章になっていなくてもよいのだが、国民全体の未来のイメージがなく、漂流している印象を受ける。
例えば、高度経済成長期は「所得倍増計画」のような、経済発展という明確なイメージがあったし、或いはブッシュ前大統領アメリカ初期も、その善し悪しは別として、世界の警察官たる、一極支配する、強いアメリカという明確なイメージがあったように思える。

これに関連して、現在の日本が抱える根本的な原因は、無理だと分かっているにも拘らず、意識的にせよ無意識的にせよ、未だに高度成長的な思考から抜け出せずにいることが指摘できるのではないだろうか。
つまり、経済は成長し、成長した分だけ増加した予算分を、どこに振り分けるか、を考えていた政治から、限られた成長、時には減少すらするパイをどこに集中するか、を思考しなければならない政治への転換ができていないのだ。
八方美人的に、ありとあらゆる方向を向いていい顔が出来ていた政策の時代から、明確な方向性をもって、意識的に必要なものを「切る」政策をしなくてはならない時代になっている。
高度成長期が増加分を奪い合い、結果的に四方八方にばら撒いていた時代であるなら、現在はその惰性から抜け出せず、減少分を押し付け合い、結果的にしわ寄せをあちこちに押し付け、痛みを分散させつつ、どこも伸ばせなくなっているのだ。
今回の刷新会議で様々な事業が俎上にのり、削減されていく姿に、「刷新」ではないとまでは言わないが、高度成長期の「総花的」なイメージのアナロジーで、「総削減的」なイメージを想起したのは私だけだろうか。

その上、赤字国債という負の遺産は、まさに高度成長期にすら経済成長分だけでは飽き足らず、未来から将来の成長を当てにして、前借した借金である。
当てにした将来の成長がなくなった現在、甘い汁を先に吸ったばかりに、困窮の度が増していることを認識すべきだろう。
その上で、「どんな国家を目指すのか」という大きな方針のもと、痛みを伴ってでも選択と集中を行うことが必要ではないだろうか。
こうしたグランドデザイン的な議論は抽象的で、個別の具体論のほうがわかり易いのだが、是非、大きなイメージを政治家に覚悟を持って語ってもらいたい。
刷新の思想的背景がない、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、聞こえはよくとも全ての分野に「友愛」だけで政策を行うことは出来ないだろう。

事業を仕分けてどんな国家をつくりたいのか。(1)

行政刷新会議による事業仕分けが進んでいる。
自民党では到底無理だった革新的手法で、あるいは公開の場で議論が行われ、無駄が省かれつつある、と高く評価される一方で、1時間の議論で何がわかるのか、そもそもどの事業を仕分けするのか財務省の恣意的判断によっている、等の最もな批判も多い。
例えば、
事業仕分けという人民裁判池田信夫 blog
事業仕分けへの批判に異議あり!霞が関牽制の意味は大きい 週間 上杉隆(Diamond online)
などが、興味深かった。

さて、私もこれは大きな改革の始まりになり得る可能性を秘めた会議だと評価できるし、個別の問題で改善するところは多々あると思が、それ以前に気になった点がある。
思うに、「事業仕分け」の結果どんな国家をつくりたいのか、といった、大きなビジョンがどこにも語られていないことではないことが、一番の問題ではないだろうか。
個別の議論をするのはよしとしても、俯瞰的な視点が欠けているように思われるのだ。

今回の事業仕分けでは、以下の五つが評価項目(asahi.com)として挙がっている。
(1)事業が必要か
(2)国が担わないといけないか
(3)来年度予算に盛り込むべきか
(4)事業内容や組織、制度などに改革の余地はあるか
(5)予算額は妥当か
確かに、個々の事業の必要性について論じるのは勿論大事なことであろう。

しかし、これらの基準はあくまで個別の基準であって、その上に国全体としてどの分野をどう戦略的に強化するのか、という段階の基準があるべきだろう。
「事業が必要か」という問いだけでは、「誰にとって」「どの程度」「何のために」必要かが極めて曖昧である。
一般的な現在の社会通念に照らして、その政策が「明らかに不必要」と即断できるのであれば、そもそも、流石に中止されている。
一般に国が行う事業は程度の差はあれ少なくとも「ないよりはあったほうがいい」ものがほとんどだろう。
少なくとも、その施策によって便益を得ている(言い方が悪ければ、それに助けられている)人たちは必ずいる。
時に明らかに全体として有害でも、一部の人にとっては大きな利益となっている(つまり、一度発生した便益はそれを握る人の既得権益となり、その一部の権力の強さによって残されている)ものもあろう。

そして、そうした利益を得ている(言い方が悪ければ、政策対象の)人たちからは、削減や見直しについて、必ず反発が起こるであろう。
実際、事業仕分けはまさに「総論賛成各論反対」状況で、各決定に対してそれぞれの分野から反発が起きている。
文部科学省や経済産業省が国民の声を募る(asahi.com)として、意見募集をかけているが、
それぞれの分野にそれぞれ関心をもつ国民は必ずいるだろうし、様々な反論にはいちいち最もなものも多い。
無限の財源があるなら全てに拠出したいところだ。

しかし、当然ながら財源には限りがあり、それどころか、日本は負債を抱える国家でもある。
その上、自然に今後も経済成長を続けられるなんて楽観できる状況ではない。
「あれも、これも」は無理なのだ。
で、あるならば、個別の事業評価の前に、どの方面の事業に力を入れていくのか、ひいてはどんな国を目指すのか、の基準が明確である必要があるのではないか。
しかし、個別の事業を並べて、順番に評価を下していくだけでは、そうしたもっと大きい次元でのデザインがまったく見えてこない。
さらに言えば、これには、その事業が必要な人がいたとしてもそうした大方針に沿わないものは切る、という覚悟も求められる。
そうしたビジョンを提示し覚悟を示す事こそ、政治家の役割だろう。

いくつか個別の例を取り上げたい、例えば、医師確保、救急・周産期対策の補助金等について、補助金が有効に活用されていない、という観点から削減が決まった(刷新会議評価コメント(PDF))
これに対して猪瀬氏が反論(nikkei BP net)しているが、これも非常に最もな気がする。
私にはこの問題の妥当性は分からないが、こうした個別の評価や必要性を検討し見直していくことは非常に大事だし、他方で実際に必要としている人の反論に耳を傾けることも必要だろう。
とは言え気になるのは、この削減について、今後の福祉をどんな形にしていくのか、という視点が感じられないことだ。

仮に削減が、医療の世界でも(ステレオタイプとして)「アメリカ」型の自己責任社会を目指します、というのならそれもいいだろう。
或いは「周産期医療」を犠牲にしてでも、「高齢者医療」を充実させようというようなコンセンサスがあってやるなら(当然私個人は反対だけれど論理として)それはそれでいいだろう。
または、もう国家財政危機なので、ありとあらゆるものを徹底的に削る、というような方針でもいい。
ここの評価シートだけでそこまで求めるわけではないが、ワーキンググループ全体、または鳩山政権の方針としてビジョンがないように思うのだ。

或いは、スパコンについて、見送りに限りなく近い縮減との評価が下された(刷新会議評価コメント(PDF))。
スパコンなしに今後の科学技術立国はありえない、といった批判が、様々な方面から相次いでいる。
「2位でもいいじゃないのか」の議論には、スパコンのみならず、今後の日本の科学技術に対するアプローチ方向を示唆するニュアンスがあるが、そこまで考えられた議論だったのだろうか。
仮に、今後の日本は科学技術立国を目指すよりは福祉を優先する、経済成長を目指すのをやめることもできるだろう、縮小均衡でいいのではないか・・・等の大方針の下に決まったのならばそれもいいだろう。
評価コメントのなかで「スパコンの国家戦略を再構築」するよう指摘されているが、科学分野全体の国家戦略によって、その位置づけは大きく変わってしまうだろう。

同じく科学分野で、GXロケットの開発について「ロケットがどうなるか分からないのに、エンジン開発に何十億円もかける意味があるのか」との意見があったが(Yomiuri online)、今後、どの程度本気で日本が宇宙を目指すのか次第では、「ロケットをどうにかするためにも、エンジン開発を続けることが必要だ」といったロジックも有り得るのではないか。
そもそも今後の日本の中で「科学技術」をどの程度の優先に置くのか、その上で科学技術の国家戦略の中でスパコン、ロケットをどう位置づけるか、という大枠も必要であろう。
なお、スパコンについて以下の指摘が示唆的であった。
沈没した「スパコンの戦艦大和」 (池田信夫 blog)
スーパーコンピューターを復活してほしい - 西 和彦 (アゴラ)
池田信夫 対 西和彦(アゴラ)
スパコン保護政策がIT業界をだめにする - 池田信夫(アゴラ)


(長くなったので次のエントリーに続きます。)

2009/11/18

tt Blu-ray Box 完全予約受注限定生産の件(その2)、

祝!!予約2000枚突破!!
ktkr

ネットの力、ってほんとすげーな。

ここにtrue tears BD化の流れがまとまってるお。
これは最早ドラマといっても過言でないお。

2009/11/12

何か、おかしい。

何か、おかしい。

日銀総裁人事で2度も不同意をし、官僚出身者は一切ダメだと主張していた民主党。
日本郵政公社社長に斎藤次郎元大蔵事務次官
人事院人事官に江利川毅前厚生労働省事務次官。

何か、おかしい。

鳩山由紀夫首相、5億円以上の巨額な資産報告漏れ
恵まれた家庭に育ったものですから、自分自身の資産管理が極めてずさんだったことを申し訳なく思います。


何か、おかしい。

官邸の記者会見は開放されない

何か、おかしい。

増税もせず、赤字国債も発行せず、無駄を節約して予算を捻出。
概算要求は95兆円

何か、おかしい。

行政刷新会議の「事業仕分け」。

何か、おかしい。なんとなく、そんな気がした。

事業仕分けという人民裁判 - 池田信夫 blog
あぁ、そういうことか。




・・・あ、いや別に、「何か、おかしい。」って8回言いたかっただけです。

倍音とは何か(補足、蛇足、具体例)。

先のエントリーに加えて、具体例とトリビアルな話をいくつか。


様々な楽器の音色の違い、そして須らく音質は、その含む倍音のバランスによって決まる。
一般的にいって、倍音がないと味気なく、バランスが悪いと心地悪い響きになり、倍音が多いほど豊か丸くに聞こえるようだ。
(ちと、音をどう表現するか言葉が難しいのだけれど、取りあえず、イメージとしては。)
例えば、トランペットを始めとした金管楽器は、最もバランスよく全ての倍音が含まれている(らしい)。
(バランスが良く、と言うのは、全ての倍音が含まれていて、基音から離れる倍音ほど音量が減衰する、という意味。)
他方で、オーボエを始めとしたダブルリードの楽器は一定の倍数の倍音がすっかり欠落している(らしい)。
このため、管楽器は丸みを帯びた音、リード楽器は鋭い印象の音色を持っている(らしい)。
ただ、オーボエの音が好きだ、と言う人がいることからも明らかな通り、音色に関して、別段、倍音が多ければ多いほど良いというわけではない。
何を「いい音」とするかは、最終的には個人の好みの問題なので。
オーボエを始めとするダブルリード楽器がソロ楽器なのは、一定の倍音の欠落による鋭い音の印象から、目立つ音になりやすいため、また管楽器が重厚な和音やハーモニーを作るのに使われるのは、倍音の含み方のバランスがよく、和音を作るときに響きを深くしやすいから、といえるだろう。
いずれにせよ、音色の違い、楽器の特性はこの倍音の含み具合、どの倍数の倍音が強いとか弱いとか、全体のバランスの差によって生まれているのだ。

細かい構造は知らないのだけれど、管楽器が同じポジション(例えば、トランペットで言えば開放=バルブを何も押していない状態)で鳴らせる音は、綺麗にこの倍音の順(ド→ド→ソ→ド→ミ→シ♭・・・※トランペットの場合、調が違います(ド=B♭)がここでは便宜的に)になっている。
一説によるとサックス等、木管楽器でも、相当困難であるが、同じポジション(運指)で、倍音にあたる他の音を出せるらしい。

倍音を豊かに含む音を集めて作るハーモニーについて、面白い現象が知られている。
例えば楽器や歌声で「ド・ミ・ソ」を同時に鳴らして、それが豊かな倍音を含んでおり、綺麗に共鳴すれ(振幅が重なれ)ば、出していないはずの高音がクリアに聞こえてくる、なんてことが起こる(らしい)。
つまり、それぞれが共通して含んでいた倍音が相乗効果で可聴レベルまで強化されるということらしい。
この現象、かつては「天使の声」等と呼ばれていたらしい。

この倍音の含み具合、人間の声質にも当てはまる。
これについて、先のエントリーで書いた小室さんの本の中で面白い記述があったで、幾つか、メモしておく。
・歌手は「声質」が全て。
歌手を夢見る人たちも、・・・最初の段階で「×」なら、もういくら努力しても無理だ。次の段階へは進めない。音楽の勉強や歌唱トレーニングをすると、音痴はある程度解消できる。それなりのリズム感も身につく。しかし、声質だけはどうしようもない。
仕事柄、過去に何万人という歌手志望の人の歌を聴いてきた。
オーデションの審査員席にも何百回と座った。いつも基準は同じだ。
聴くのは声質。「そこだけ」といってもいいくらい集中する。(第五章 p200-202より)
(これ、歌手目指している人には結構ショックな事実ですよね。)
・プロのミュージシャンの録音の手法で、同じ声、同じ音程を二回重ねることにより、倍音成分を強調する、「ダブル」と呼ばれる手法がある、ビートルズも使っていたくらい常套手段。TM時代、宇都宮隆の声を重ね撮りし、聞いていたところ、他の誰かがハモリを歌ったのではないか、と思われるくらい、明確に聞こえたという(まさに上述の「天使の声」でしょう)。それほど宇都宮さんの声に豊かな倍音が含まれていたという話。
・小室さんが音楽的声質の持ち主として触れている人;宇都宮隆、宇多田ヒカル、KEIKO、美輪明宏、美空ひばり、松田聖子、姜尚中
・ハスキーボイスは独特の倍音構成を持つ声の一つ。一般的な声より複雑な倍音構成で、1オクターブ上の音が強く出ている場合が多い、或いは特定の倍音だけが削られ、特定の倍音だけが残る。例として、森進一、八代亜紀、ロッド・スチュワート等。
・歌手の理想的な声質がある一方で、逆の声もある。例えば、別に性格も悪くもない、話の内容もつまらないわけではない、なのに、何故か話しているとイラっとする。その人の声には響きを濁らせる倍音成分が多いかもしれない。
それぐらい、声質は大事なのだ。
関心があれば、この本を是非ご一読を。


また、更に、蛇足ながら、昨今、CDの販売減少が著しい中で、アニメのキャラソンが健闘しているわけですが、
勿論、ネット等に流れたCD全体の減少に比して購買層が違う、というのは大きな一因ではありますが、
俳優に容姿端麗な方が多いのと同様、声優というのは、言ってみれば声質に関しての超美男美女なわけで、
そもそも、人にとって心地よいと感じられる「声色」を持っている、ということも一因な気がします。
アニソンに関わらずですが、こんなに歌唱力ないのに、なんで売れてるの?というアーティストで、その声質が要因になってることって結構あるのではないでしょうか。

どーでも、いいですが、
最近ステレオポニーの「ツキアカリのミチシルベ」がヘビーにローテしてます。
あの声を裏返すぎりぎりのあたりの響きが最高です。

2009/11/11

メドベージェフ大統領 ビデオブログ 11月6日

2009年11月6日付、メドベージェフ大統領のビデオブログ。
クレムリンの公式HPから


ロシア語テキストはこちら

(仮訳)
2009年11月6日  モスクワ
伝染病で金儲けをするなど、まさに犯罪だ。
(保険社会開発相タチアナ・ゴリコワとの会談より)

タチアナ・ゴリコワ:今、医薬品に関する話になりましたが、まさにこの分野について、お話したいことがあります。残念ながら、医薬品と防護グッズの販売を巡って、投機的な動きが現れつつあります。 私は今週(月曜日)、医薬品生産業者を集め話を聞きました。インフルエンザの治療と予防のために推奨されている薬の医薬品製造業者達は皆、これら薬の生産者価格は上昇しておらず、今日起こっている価格上昇は、概して輸送・流通網に関わるものである、と言明しました。この会議の参加者には大手薬局チェーンも含まれており、そこで私は、人の健康を投機の対象にするなど最悪のものであるから、この市場におけるマネーゲームは、概してその参加者に不幸な結末をもたらすだろう、と警告しました。

メドベージェフ:あなたは警告を発して下さった。次は私の側からも、連邦反独占部局に対してこれらのプロセスを然るべく監督するように、また検事総長に対して、そのような悪意を持った行為が明らかになった場合には刑事手続きをとるよう、委託しよう。もうこれ以上、手をこまねいていてはならないのだから。
 実際に、伝染病で金儲けをするなど、まさに犯罪であり、これに対して、処罰し、責任を追及せねばならない。もう一度繰り返そう、そのような類の組織のリーダーに対しては、行政上ではなく刑事上の責任を追求し、処分を下さねばならない。そのために必要な法的根拠は、全て揃っている。

2009/11/10

tt Blu-ray Box 完全予約受注限定生産の件、

true tears がBlu-Raybox化!! ktkr。

・・・誰得、とか言わないで、お願いだから。。。それ以前に、知らない人が大半か。
今日から、公式HPでも募集が始まったようです。
「true tears Blu-ray Box」
13話収録:24,990円(税込)
収録時間:(予定)376分(本編 314分+映像特典 約62分)
スペック:リニアPCM(ステレオ)/BD50G×3枚/16:9(1080p High Definition)
申込受付期間:2009年11月10日~12月16日
※基本PCからご注文の対応になります。ご了承下さい。
※申込受付期間と入金受付期間が異なりますので、ご注意下さい。
入金受付期間:2009年12月21日~2010年1月8日
商品発送日:2009年3月26日

本商品は、条件付受注生産となっており、注文受付期間内に2,000個以上のご注文があり、かつ2,000個分以上の本商品代金のご入金が確認された場合のみ生産し販売いたします。本商品のご注文数が2,000個に満たない場合及び本商品代金のご入金が2,000個分に満たない場合、弊社は、本商品の販売を中止することができるものとします。ただし、本商品のご注文数及び本商品代金のご入金額が2,000個分に満たない場合においても、弊社の裁量により、本商品の生産、販売を行うことがあります。


因みに、これ、どこかのサイトのBlu-ray化して欲しい作品の投票で多数の票を集め、晴れてBlu-ray化が決まったとか。
特別サイトのみの完全予約受注限定生産ってのも含めて、この販売、なかなか興味深い新しい試み、だと思う。
これまでDVDしかなかったものがBlu-ray化するユニークな道筋が出来、かつ、生産者側からしても、生産前に確実にペイできる。
BD/DVD売れないと悲惨なことになるからねぇ、順次発売の途中で個別のDVDの発売中止(してboxのみと)した某アニメとか・・・、どんだけ売れなかったんだよ、頑張って再上場しろよ、つか(ry

閑話休題。
2000枚・・・どどーん。
あぁ、かなり微妙な数字だよねぇ。
作品の高評価の割りに、元のDVDはあんまり売り上げ伸びなかったんだよねー、確か。
アマゾンとかで買えないってのは存外不便だしなぁ、そんなに知名度があるわけでもないし。
行けそうな気もするが、行けなさそうな気もする。
でも、
ただし、本商品のご注文数及び本商品代金のご入金額が2,000個分に満たない場合においても、弊社の裁量により、本商品の生産、販売を行うことがあります

わいわい。

あー、2万5千円かぁ。いやぁ、欲しいなぁ。
これが即決出来るようなら『大人買い』って奴っすね。
どうしようかなぁ、とか言ってる時点で、大抵もう心は決まってるんだよね。
食費、削るか・・・。

因みに、OPの『リフレクティア』は神曲です。



みんな、買ってねっ!!

2009/11/06

倍音とは何か。

小室哲哉著『音楽と罪』の中で言及があって、触発されたので、倍音について、どこかで聞いた話、読んだ話、或いは経験的な話をまとめてメモしておく。
よって、出典と真偽は不明、また学問的なところ、用語の使い方も正しいかわかりませんが、「そういったもの」という感じで。


まず、音それ自体について。
音とは空気(だけとは限らないけれど、主に空気)の振動であって、その振動は波のように広がる。
オシロスコープでこの振動=音を波形として表示したものは、テレビや物理などの教科書で目にする機会もあるだろう。
同じ形の波が上下に周期的に繰り返す、あれである。
(なお、音には例えばガラスの割れる音から、楽器の音まで様々な音があるが、取りあえずここでは破裂音等の騒音以外の音程を聞き取れるもの考える。
因みに、そういった騒音、まったく音楽的でない音は、波自体が規則的に繰り返しておらず、波形がぐちゃぐちゃになる(らしい)。)

この音の波、周期的に繰り返す波のグラフは、
・振幅の高さ(上下幅)=音量
・振幅の頻度(周期幅)=音程
・波形=音質
の特徴があり、これが音の三つの要素である。

この中で、波形、音質を決めるものが倍音(の含み具合)である。
例えば、同じ音量、同じ音程の音でも、ブザーの味気ない音と楽器の響く音は全く別物であろう。
そうした違いが、倍音の含み具合によって生み出されている。

では、倍音とは何か、
一応定義としては、理論的には、ある高さの音(基音)の振幅の整数倍の振幅を持つ一連の音の事である。
仮に、基音の振幅の幅を1とすれば、1/2、1/3、1/4、1/5・・・の振幅の幅を持つ音が全て基音に対する倍音だと言える。
具体的には、「ド」の高さの音に対して、そのオクターブ上の「ド」、その上の「ソ」、「ド」、「ミ」、「ソ」、「シ♭」・・・・等が「ドの倍音」にあたる音である。
オクターブを上がるほどその数は増えていき、理論的には無限に存在する。
簡単に言えば、ある高さ音があるとき、その音と振幅の幅に関して関係を持つ音、がたくさんある、ということだ。

今、「ある高さの音(基音)」という書き方をしたが、現実の世界で、純粋にある高さのみの音はほとんどない(ブザーの音など)。
(騒音以外のたいていの)音は、基準となる高さの音に加えて、上記の倍音を一定のバランスで含んでいるのである。
具体的に言うと、例えばピアノの「ド」を鳴らすと、純粋な「ド」の高さの音以外に「ド」の一定の倍音が同時に鳴っているのだ。
(同時に鳴っている、というよりは、純粋な「ド」の高さとその一定の倍音の集合として、ピアノのドが構成されている、と言ったほうがいいかもしれない。
或いは「倍音を含んでいる」といった言い回しがされる。)

そして、この倍音をどういうバランスで含んでいるか、によって「音質」の違いが生んでいる。
例えば、ブザーの「ド」とトランペットの「ド」を同じ音量、同じ高さで鳴らしたとする。
ブザーの音が味気ないのは純粋にその高さの音のみが鳴っているのに対して、トランペットは「ド」を基音とした倍音が同時に鳴っている故に音楽的に感じられるのである。
同じ音楽的な音で、例えば、ピアノの「ド」とトランペットの「ド」をやはり同じ音量、同じ高さで鳴らしたとする。
それぞれの音は「ド」の倍音を違ったバランスで含んでいるので、「音色」に差が生まれるのだ。
逆に、同じ楽器であるなら、例えばトランペットであるならば、「ド」であれ「レ」であれ、その音を基音として、含む倍音のバランスは同じである。
つまり、ある高さの音(基音)に対して、無数に存在する倍音の中で、どの倍音をどれだけ含むか、によって、音質の違いが生まれている、と言ってもいいだろう。

因みに、「倍音」は基音にたいして整数倍の振動幅を持つ音(無数にある音全て)、と定義したけれど、一般的な場面では、「トランペットの倍音」といった使い方で、具体的な(楽器等の)ある音に対して実際に含んでいる倍音のみを指して用いることも多い。

また、音色とオシロスコープの波形の関係では、一番イメージされるであろう綺麗な縦丸のような波の形(正弦波)をしているものは、(ブザーなどの)純粋なその高さのみの音である。
楽器ごとにこの波形が違うのだが、例えば、管楽器では、三角型になるらしい。
この楽器ごとの特色がある波の形は、それぞれ含んでいる倍音の正弦波に分解出来るらしい。
(逆に言うと、基音と構成する倍音の正弦波を全て集めるとその音の波形になる。)

なお、倍音と音色の関係は理論的には上記なのだけれど、現実の世界では、音自体が揺らぐことも多く、また、実際に含まれているはずの倍音の振幅幅自体が綺麗に整数倍にならないこともあるらしい。
また、同じトランペットと言う楽器であっても、個々の楽器によって音色に違いがあるように、現実には様々なコンディションや、或いは奏者等でも違いが生まれてくる。
要するに、実際の音色については、倍音以外の要素も多分に関わっている。

2009/11/03

自衛隊海外派遣状況

ちょっと前のエントリーで自衛隊の海外協力に触れたんですが、

今、この瞬間、海外のどこで、自衛隊が活動しているか、全部言えるでしょうか。




以下のとおりです。

・海賊対策派遣 (ソマリア沖)
・インド洋給油支援活動
・ゴランPKO活動
・ネパールPKO活動
・スーダンPKO活動

海賊対策派遣とインド洋給油支援活動は政治レベルの話題になっているので、耳にすることも多いですが、PKO活動は実は知らない人も相当多いのでは、と思いまして。
もちろん、規模等も全然違うのだけれど。
ある程度、社会に参与する意思を持つ日本人ならば、
自衛隊の海外派遣に賛成にせよ反対にせよ、あるいは問題自体にあまり関心がないにせよ、
或いは、どんな部隊が、とか、どんな根拠法で、とかテクニカルな部分は全然分からないにせよ、
自国が自衛隊を海外に派遣している事実は知っていたほうがいいかと。

詳細は日米国防組織情報のこちらのページで。
取り急ぎ。

レビストロース氏 死去

社会人類学者のクロード・レビストロース氏が死去
また一人社会学の巨人が他界されました。

というか、正直、まだご存命だと知らなかったのですが。
100歳とのことです。

『悲しき熱帯』は大学時代に途中でギブアップしたままなんだよな。
わざわざ日本から持ってきてはいた気がするのだけど。
これを機に再チャレンジしようかなぁ。

ご冥福をお祈りいたします。