2009/01/31

メドベージェフ大統領 ビデオブログ 1月12日

2009年1月12日付、メドベージェフ大統領のビデオブログ。
クレムリンの公式HPから


ロシア語テキストはこちら
映像途中に大統領がスキーで滑走する映像あり

(仮訳)
2009年1月12日  2009年1月9日ソチ(クラースナヤ・パリャーナ)にて収録
タイトル:私達の国の休暇の文化と大衆スポーツの発展
メドベージェフ:

敬愛する皆様!
もう一度、皆さんにお祝いを申し上げたい、明けましておめでとう!
皆さん休暇を楽しんだことだと思う。今年の新年の休暇はとても長いものだった。

さて、とても重要だと思われるあるテーマについてお話したい。それは、私達の国の運動体育とスポーツの発展に関わるテーマである。

実際のところ、最近では、何百万の国民の休暇の為の一般的な環境を整えるために、運動とスポーツの発展に向けた非常に多くの様々なものが作り出された。けれど最大限率直に言えば、これまでに成されただけでは、全く持って不十分だ。そして恐らく、この新年の休日が、こうした休暇の一般的な過ごし方を何百万の国民に広めるために、体育や私達の国の大衆スポーツを如何に発展させるべきか、といったテーマについてちょっとした議論を始める良い契機となるだろう。

ご存知の通り、ロシアでは2014年に冬季五輪が開催される。今、言ってみれば、あらゆるプログラムについて、それに向けた準備が進められている。新たな施設が建設され、新たな競技場、スポーツ関連設備が整備されている。また、私達たちはこうした準備を、世界金融危機のために非常に深刻化した直近の世界そしてロシアの金融情勢にも関わらず、続けている。これは削減を許されるようなテーマではないと思う。何故なら、結局は、人々の気分や国民の健康と呼ばれているものは、これらに依ることになるからだ。

それから、この関連で、私達誰もが休息の仕方を身につけねばならないと考えている。知っての通り、率直に言って、ソ連時代にはこういった類の休息やこうした文化は、単純になかった。仮に外国の何処かに出かけて行ったとして、私達の誰もが、私達の隣人達が如何に休暇を楽しめているか、驚きを持って見つめたことだろう。まさにこうした休暇の文化、こうしたスポーツの文化をこそ、私達の国にも創り出すべく取り組まねばならない。それはつまり、運動をし、家族と一緒に休養し、そこから大きな充実感を得ながら、このような大型新年休暇や夏季休暇を、一般的な人間的な条件下で過ごすためなのだ。

休暇についての問題は、須く個人的な問題であるし、私達の誰もがどう休養するか自分で決めている。私は、今年は、ソチのクラースナヤ・パリャーナでスキーをして過ごした。今日、私達にももう、そうした意味で、休暇の為の十分価値ある相応しい環境、まさに多くの欧州諸国にあるような環境が整っていると思う。

私は素直に皆さんにこう言える、こういう風に休養するのは、大きな喜びであり、大きな満足である、と。私は大変気に入った。

あと少し、私のビデオブログをどう活かすか、話したいと思う。ご存知の通り、この定期的ビデオ・メッセージは9月7日に公開を始めた。そして、最近、敬愛する皆さんからの要望を叶える準備が出来てきた、と思う。まず始めとして、コメント欄に設置についての提案があったので、今、まさにそうした機会ができたことをお伝えしたい。このビデオブログに自分のコメントを残して、皆さんが望んだことを全て述べ得るだろう、と期待している。私はそれらを読むのが楽しみである。


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・・・ぶっちゃけ、『みんな、休暇はスポーツしようね!』ってだけです、かね。


訳がどうもこなれない。
ロシア語をロシア語で勉強していると、文章の大意は日本語で理解・説明できても、個別の各文についてとなると細かいニュアンスをどう日本語に訳して良いかがつかめない。
文学作品とか原文と訳を対照させながら読めば良いのだろうけれど。

ビデオブログが更新されていたのに、気づかなかった。
コメント欄のみならず、サイトのデザインも一新されて、rssも付いたようで。

2009/01/30

-40℃の天気予報に慄いてみる。

2009年1月29日16:25付 Новая газета紙のサイトから

Через 10 дней в Москве возможны морозы почти до 40 градусов.

31 января температура упадет до минус 13 градусов. А переломный момент произойдет на следующей неделе в ночь с пятницы на субботу: воздух в мегаполисе остынет до минус 23, а днем, 7 февраля, термометры покажут 18 градусов мороза, сообщает «Эхо Москвы».

По долгосрочному прогнозу, понижение температуры не прекратится. Уже на следующий день, в ночь с субботы на воскресенье, 8 февраля, воздух остынет до минус 33, а днем в выходной столичным жителям придется смириться с 26-градусным морозом.

В ночь с воскресенья на понедельник, 9 февраля, метеорологи прогнозируют понижение температуры до минус 38 градусов.

Однако директор Гидрометцентра Роман Вильфанд скептически относится к этим прогнозам. «Температура почти минус 40 градусов в столичном регионе – за пределами реальности и здравого смысла. Сорокаградусные морозы возможны, но не в Москве и в умеренных широтах, а в Якутии и Красноярском крае», – сказал Вильфанд.


(仮訳:一部意訳)
あと10日程で、モスクワは-40℃の寒気に曝される可能性がある。
1月31日、気温は-13℃まで落ち込みそうだ。だが、「エコーモスクワ(注:たぶんラジオ局)」が伝えたところによると、翌週金曜から土曜にかけての深夜、さらに急転する、つまり、メガポリス(原文ママ)の大気は-23℃まで冷え込み、2月7日の日中も気温は-18℃を示すだろう。
長期予報によれば、気温の低下はそれにトドマラナイ。その翌日、土曜から2月8日の日曜にかけての深夜、気温は-33℃まで冷え込み、休日の日中も、首都の住民達は-26℃の寒さを甘受せねばなるまい。
日曜から2月9日月曜にかけての深夜について、気象学者たちは、-38℃までの冷え込みを予想している。
しかし、気象観測センター長のロマン・ビリファンドはこの予報に懐疑的な態度を示している。彼が言うには、「モスクワ周辺地域において気温が-40℃になるなんて、現実と常識の限界を超えている。-40℃の寒波はありうる、しかしそれはモスクワや中緯度の地域ではなく、ヤクーツクやクラスノヤルスク地方である。」とのことである。


・・・本当だったら耐えられません。
まぁ、まずそこまで寒波が訪れることはないでしょう。最後の気象センター所長さんの言の通り、常識を超えている。
というか、有り得ない予報を平然と引用して、最後に有識者の言葉で平然と否定する記事の構成が、なんかだね。

因みに、個人的には-5℃~-10℃くらいが一番好きですね、適度に空気が張り詰めて。それより暖かいと雪が解けるので道路がドロドロになって頗る気持ちが悪い。しかも一度融けて再び氷になった方が道が滑る。
あと、-10℃近いと雪が結晶の形のまま降ってくるから綺麗です、雪の結晶ってロシア来て初めてみたなぁ。



そういえば、サハリンでの麻生-メドヴェージェフ会談は2月18日開催でほぼ決定されたらしいですね。
サハリン2のガス価格の決定と延期を繰り返してたプーチン首相来日に向けた調整が議題になるとかなんとか。

2009/01/15

聖徳太子は架空の人物!?

先日のエントリーの中で、社会的構築主義を取り上げた。
この中でも若干触れたが、構築主義の立場から、「歴史」というものは、現在の我々が当時の時代的な価値基準や行動原理を持ちえない以上、残された物証や資料から当時を想像し、解釈したものでしかない、と言える。
よって、新たな物証等が見つかったり、新たな視点が導入されたりすれば、解釈が変わり、「歴史」が再構築される、ということが良く起こる。

言い換えると、「解釈」するにあたっての基準が、現代の思潮や視点による限定性を伴っている故に、「歴史」は(単なる過去という静的なものでなく)動的なものとなる。他方で、現在の思潮や視点それ自体の中に、「歴史」に依拠した言説もその一部として含まれており、再帰的に現在もまた構築されている。
例えば、ある共同体が「歴史」を共有することで現在の紐帯が生まれている時、その視点からの「歴史」はそれを裏付けるものとして解釈(それは時にフィクションの場合ですらある)され、それが現在をより強固なものとする、なんてこともある。
勿論、純粋な歴史学の立場で静的な歴史の真実を求めるアプローチも学問として確立されていようが、歴史学の顔をして、極めて現代的な関心でのみ、「歴史」を扱っている言説も多い。
(こうした意味で、所謂「歴史認識」の問題は、あくまで「歴史」ではなく「現代」の問題だと意識されねばなるまい。)

話が逸れた。
取り上げたかったのはこれ。
上武大学大学院の池田信夫教授のブログで、改訂された参考書「日本史研究」において、新たになった日本史の定説について書かれた、興味深い記事があったので、引用メモさせていただく。

・「魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。
・「任那日本府」は存在しなかった:4世紀ごろ、朝鮮半島の南部に加耶と呼ばれる小国の連合があったが、任那という統一国家はなく、日本の植民地でもなかった。これは『日本書紀』の誤った記述。
・世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない:堺市にある大仙陵古墳は、つくられた時期が仁徳天皇の在位期間と違うので、彼の墓ではありえない。被葬者が大王(おおきみ)であることは確実だが、内部調査が許されないので誰かわからない。
・「聖徳太子」は架空の人物:厩戸王という推古天皇の甥が、氏寺として斑鳩寺(のちの法隆寺)を建立したことは事実だが、彼は「皇太子」でも「摂政」でもなかった(そういう地位は当時まだなかった)。十七条の憲法をつくり、『三経義疏』を著して仏教を日本に導入した聖徳太子というのは、厩戸王の死後に成立した「太子信仰」の一種で、『日本書紀』が複数の人の業績を合成してつくった架空の理想的知識人である。紙幣に使われた有名な肖像画も、彼の肖像かどうかわからないので本書には出ていない。
・「大化の改新」は存在しなかった:645年に、中大兄皇子らが蘇我入鹿(厩戸王の家系)を謀殺する政変(乙巳の変)が起こった。しかし「改新の詔」というのは『日本書紀』に書かれているだけで、そういう改革が行なわれた証拠はない。「万世一系」というのは神話で、このように古代には複数の王家が権力抗争を繰り返していた。
・天武天皇以前に「天皇」はいなかった:私的な家長の名称である大王が「天皇」と呼ばれるようになったのは、従来は推古朝(6世紀末)とされていたが、その根拠は疑わしい。唐をまねて天皇という称号を使うようになった最古の記録は677年、天武天皇の時代の木簡である


・・・あら、あらら。
うわ、「聖徳太子」って架空の人物、ってのが歴史学の定説になってるんだ!?日本史の参考書に聖徳太子の肖像、載ってないんだ!
その他も衝撃的だなぁ。
たかだか十年二十年前に学校で習ったこと、これまで「真実」として勉強してきたことが、結構変わってますね。
いやー、興味深い。

2009/01/13

月九が観たい。

人に教わったんですが、
今クールの月九『VOICE~命なきき者の声~』のロケ地が都内某所らしい。

都内某所・・・この辺↓


・・・観たい、観たすぐる。
聞けばなんと、昨年10月4日放送の特別ドラマ『ガリレオΦ』も都内某所だったらしいじゃないか!?

観たひ・・・。
郷愁に駆られますなぁ。

とある本屋のHPのトップ

まぁ、ロシアにいると、何で?と思うような日本語の使われ方に出会うときがある。
まぁ、日本料理店が街のそこかしこにあり、車を始め日本製の工業製品に溢れる、一方で、実際の日本人はそれほど多くない等、実態として良く分からない神秘の国の、漢字というこれまた不思議な表意文字を含んだ日本語を、その意味深く考えることなく、デザインとして、或いは意匠化して用いる気持ちは分からんでもない。
まぁ、日本でTシャツやそこらに意味不明な英語を並べ立てているのと同じレベルと考えれば、納得がいく。
まぁ、とはいえ、奇異な感は否めない。
まぁ、そんなんばかりで、食傷気味、もういいよ、という感じではあるのだが、そんな一例をメモしておく。


モスクワにBritanniaという名前の外国書籍専門の書店がある。
外国書籍専門店と言っても、名前から察する通りほとんどは英語であり、あとはドイツ語、フランス語等西欧言語が若干、日本語はない。しかも、多くは語学テキストであり、一般書籍はそれほど多くはない。
とはいえ、経済等の英語のテキスト類や文学作品等もあり、真面目な本屋さんである。
その外国書籍専門店BritanniaのHPがこれである。
念のため、トップページ背景から関連部分を貼り付けておく。


えー、一体何なんでしょう?
とまぁ、そこでググってみる。

・・・ありました。
山野楽器のHPから。
1999年、同時発売のシングル3作を全てオリコントップ10に送り込むという衝撃的なデビューを飾ったDIR EN GREY。


・・・何故DIR EN GREY??
ロシアで、有名なのか??
この一文を何故引っ張ったんだ??
いや、それ以前にここはCDショップじゃない、しかも日本の書籍すら売ってない。
日本の場合、このレベルの書店等なら、ある程度引用する言葉にも懲りそうな気がするのだが。

2009/01/06

ランディ・パウシュ氏のスピーチ

ランディ・パウシュ氏のカーネギー・メロン大学の卒業生に向けたスピーチです。
たった6分足らずのスピーチですが、感動しました。




上記動画のポップアップのリンクでYou Tube行くと、関連動画で下リンクの本になっているカーネギー・メロン大学での特別講義「最後の講義」も観られます。

この本、日本から取り寄せました。究極に凹んだときに観ようと思ってまだ観てませんが。

一生懸命、生きたいと思います。

ランディ・パウシュ氏のご冥福をお祈りいたします。

それでも新自由主義。

一斉に新自由主義反対の狼煙が上がっている。
しかし、では社会主義的な政策を行っていたら、現在の危機は起こっていなかったか、と考えると、酷く心もとない。(というか財政が耐え切れるかというあたりが。。。)
むしろ、「改革を進めてこなかったからだ」とか「旧態依然の体質がいけない」とか言われるのが落ちではないだろうか。
メディア含めて新自由主義改革を声高に叫んだ小泉時代が単なるブームだったと批判しているように、現在の新自由主義改革批判も危機が去れば単なるブームだった、なんてこともあるかもしれない。
経済は好景気不景気必ずあるのだから(今回の経済危機は「100年に1度」でそのレベルに収まらないとも言われているけれど、)目の前の現実にのみ合わせて時々の言説に流れるのでなく、長期的な視点も必要と思うのだが。

この問題、新自由主義が良いのか悪いのか、勉強不足もあって、うまく自分の考えをまとめられていないのだが、取り敢えずメモしておく。

今のところの、私の立場としては、
新自由主義的な改革は方向性としてはやはり必要であるが、具体的な個別の政策についてはその負の側面を補うことが必要で、慎重な検討を要する。
経済政策としての新自由主義的な改革と、現在の行政の無駄・矛盾の改革が、両方とも「小さな政府」という言葉で進められてきたが、これは分けて考えるべきだ。(例えば郵政民営化は、民営化という自由主義的改革の側面と、一連の道路公団を初めとした諸々の特殊法人等への財源としての財政投融資の改革という側面がある。)
というもの。

例えば、昨今、喧しい雇用の問題。
小泉改革時代の派遣労働の製造業までの拡大は間違いであった、派遣切りをする大企業は許せない、という論調になっているけれど、では、当時派遣労働の製造業の解禁をしていなければ、現在の雇用問題は発生していなかったのだろうか。むしろ、派遣、正社員の別なく、リストラが吹き荒れただけだと思うのだが。
しかも、日本の場合、法律よりも判例上という説も有るが、正社員の解雇は相当難しい。よって、派遣という雇用形態がなかったら、失われた10年を潜り抜けたばかりの日本で、企業は雇用を極力増やそうとせず、2000年以降の失業率の低下はなかった可能性もあるのではないか。
今後、厳しい経済情勢を背景にリストラは正社員にも及ぶことになるだろうが、経済的な危機を体感した企業は、解雇が厳しければ厳しいほど、ますます次の雇用に慎重になるだろう。
そもそも、「経済情勢が厳しくなれば解雇するのが当たり前だ」という捉え方がおかしい、という批判はあろうし、解雇しないことを前提に話ができればそれは素晴らしいが、実際そうしないと企業自体が潰れてしまっては更に悪いスパイラルに陥るのではないか。
高度成長期のような、「一社懸命」終身雇用を前提とした社会が成り立たなくなっている以上、寧ろ、正社員も含めて解雇を容易にし、労働市場の流動性を高めるべきだ、という言説の方が現実的な気がする。
他方で、小泉改革当時も必要が叫ばれていたセーフティネットの整備は十分だったか、というと明らかに十分でなかった。現在の派遣切りが問題になっているのは、同時に進めるべきであった、流動性を高めた労働市場の結果として生まれる齟齬や失敗に対応するだけの制度を構築できていなかったことに有ろう。
思うに、派遣労働の解禁は方向性としては、労働市場の流動性を高める意味で間違いではなかったが、程度が中途半端で、かつ同時に進めるべきセーフティーネットの整備を怠ったという意味で至らなないものだった。
つまり、新自由主義的な改革それ自体が間違っていたのではなく、同時に行わなければならなかった、補完的意味での「再チャレンジできる社会」の構築に失敗した、ということではないだろうか。

それから、政府の無駄・矛盾について。
最近の新自由主義の反発、修正は(私としては上記の通りのそれほどうまくはいかないのでは、と懐疑的だが)うまくいくのであれば、それに越したことはないと思う。ただ、心配なのはそうした言説が、政府の無駄・矛盾の具体的には無駄な規制や非効率の温存に使われてしまいそうなことだ。
例えば、郵政民営化についても、財政投融資の財源として特殊法人等へ流れていたお金の元を断つ、という改革の側面があった。それが新自由主義的、つまり民営化という手段と親和的であった、ということだが、仮に、民営化しなかったとしても、それらの非効率は改革する必要があり、他の手段での改革はいずれにせよ必要であったろう。そこで、新自由主義がイケナイ、となれば、そうした改革が進まなくなる恐れがある。
つまり、行政の無駄の解消は、新自由主義の改革を手段として進めやすかったが、他の手段で行うにせよ必ずやらねばならず、新自由主義が反対されることで、改革自体が忘れ去られてはならない、と思う。
あと、昨今の建築基準法、金融商品取引法に代表されるようなコンプライアンス不況を引き起こすような無駄な規制もそうだろう。今度の、薬のネット販売規制も、ドラッグストアでなら(確かに「対面」はするけど)一言も交わさずとも買える商品が買えなくなる、ってやっぱり不自然だよね。

取り敢えず、こんなところで。

2009/01/04

シュレーディンガーの猫と構築主義

極解と無理を承知の上で、最早単なる言葉遊びとしつつ、強引に思考実験してみる。

最近知ったのだが、量子力学の世界で"シュレディンガーの猫"と呼ばれるパラドックスがある。
簡単に言うと、
蓋のついた箱の中に生きた猫と、放射性物質、そして放射性物質がアルファ崩壊を起こすと青酸カリが発生する装置を入れる。一定時間後に観察者が蓋を開けた時、放射性物質のアルファ崩壊の有無で猫の生死が決まっているはずである。ところで、アルファ崩壊を起こすか否かは量子力学では確率的にしか示すことが出来ず、崩壊した状態と崩壊していない状態が「重なり合って」存在しうるとされている。では、箱を開ける前の状態はどのようなものかといえば、崩壊した状態と崩壊していない状態が「重なり合って」存在しているとすると、猫も死んだ状態と生きた状態が「重なり合って」存在していることになる。つまり、ミクロなレベルでの確率解釈をマクロなレベルに結びつけると異常な結論となってしまう、
ということらしい。

色々な解釈がなされていて非常に面白い、例えば、そもそも量子及び量子から構成される全てのものは存在の濃淡があるのみでこのような議論自体に意味がない、とか、量子は波と粒子の形態の転換が起こるので、「重なり合って」いるという解釈が間違い、とか。
私は門外漢なので、このパラドックスの理解も浅いだろうし、議論の中身は置くとして、興味を惹かれたのが、コペンハーゲン派の解釈、といわれるもの。
これによれば、観測者が箱を開けて観測を行った瞬間、その猫の状態群が一つの状態に収束するというもの、つまり、観測者の役割を積極的に評価し、観測時点までは確率的な存在である、ということになる。
この観察という点についても様々な解釈があるようで、繰り返すが、その妥当性は置くとして、"観察されるまでは状態が収束していない"という発想自体が非常に面白かった。


ここで勝手に連想されたのが、所謂ところの"構築主義"である。wikiから引用すると、
社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義、social constructionism or social constructivism)とは、現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場である。
ということなのだが、しばしば例示されるのがジェンダーの概念である。生物学上の性差の実態以上に、「男らしさ」「女らしさ」は人々の現実認識によって社会的、文化的、歴史的に構築されているし、それをもとにした社会がシステムとして、更に再生産を繰り返している。
あとは、『もし人が状況を真実であると決めれば、その状況は結果において真実である』というトマスの公理、そしてマートンの預言の自己成就も想起させられる。人は実際の現実のみでなく、他の人々がその現実にどう意味づけするか、に対して反応するし、その反応によって、更に現実が生み出されうる。

ここに、観察者の視点を導入すれば、観察される社会的な事実や事象は、実在するものであるが、観察者の側にそれを理解する意味や論理が備わっていなければ、真の意味でそれを解釈することは出来ないということになる。
例えば、外国人が日本に来た時を考えると、"おじぎ"という習慣一つとっても、それを知らなければ理解することができない。つまり、人と会った時にお辞儀をするという社会現象は、それを行う日本人が頭の中で意味を共有して作り出されたものである、ということだろう。
また観察者の立場との対比は歴史の解釈について端的に言える。エジプトのピラミッドは何のために作られたのか、観察者である我々は、当時の人々の意味を正確に理解できない以上、そこにあるのは解釈だけである。


さて、この二つを強引に対置させてみる。
シュレーディンガーの猫では、観察者が観察することで、現実が収束するとしているとする、他方で、構築主義において、観察者を想定するならば、観察者がその現象の一員でない限り、その現実を解釈することしか出来ない。
逆に、シュレーディンガーの猫においても現実を解釈することしか出来ないし、構築主義においては数多の現実を観察者が観察することで現実として収束させている、とも捉えうるかもしれない。
また、別の視点から言えば、観察者は純粋な観察者足り得ない、ということでもある。観察者自身がその人自身の解釈を持ってしまう、言うなれば観察者自身もその現実の一部であるという限定性から逃れることができない。
(話がそれるが、そう考えると、マスコミの「客観的報道」は究極的には無理な話で、それを意識した上で、如何に客観性を担保するか常に心を砕かねばならない。あまりに無条件に客観的だと自己認識するマスゴミが多すぎる。)


さて、これをもって、何を言いたいかというと、「てかさぁ,なぜ年が変わったからって「おめでとう」なんだ?」という疑問にマジレスを試みたいのだ。
そもそも「年が変わる」という制度自体が社会的に構築されたもので、洋の東西を問わず、西暦以外の暦は色々あるし(日本にも皇紀とか)、この日を1月1日に設定する必然性もない。
そして、社会的に構築された暦という制度に対して、「おめでたい」という意識自体も社会的に構築されたものであって、人が状況をめでたい、と決めれることで、結果において「めでたく」なっている。
つまり、年が変わって「おめでたい」のは誰しもが「おめでたい」と思うことで、「おめでたい」という現実に収束しているから、だと思う。
トートロジーに陥っている気もするが。
例えば数百年後、地球を離れた人類が、太陽系のない、つまり1年とか1日という周期がない場所で、現在を歴史として観察すれば、何を祝っているのか理解できないだろうし、さらに「祝う」という概念を喪失した世界から見れば、お祭り騒ぎが一体何なのかは理解できない。我々は年越し、というイベントをすべからく共有することで、現実を「おめでたい」ものとして収束させている、のかもしれない。


参考サイト
シュレーディンガーの猫について
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja.htm
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060618/1150590590
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/column5.html
構築主義について
http://d.hatena.ne.jp/Waki/20081215/p1

2009/01/02

年頭に当たって―抱負

なんとしても日本に帰る。

禁煙。


本年が幸多き一年となりますよう。
2009年元日 モスクワにて
mit