2009/12/23

核密約が明るみに出た後、

核密約文書が存在 佐藤元首相遺族が保管 (NIKKEInet より)

ふと思ったんですけど、
民主党は核密約を明るみに出した後、どうするつもりなんでしょう。

密約は無効として、(事前協議なしの)核兵器を搭載した米軍艦などの寄港、領海通過は認められない、とアメリカに要求するつもりでしょうか。
完全な非核三原則の遵守を掲げ、アメリカに、「日本に寄港あるいは領海を通行する際は、寄る前に何処かで核を降ろしてきてください」とお願いするなんて、出来るんでしょうか。

それとも、核兵器を搭載した米軍艦等の寄港、領海通過は、事前協議を要する「持ち込み」には当たらないと、密約の内容を公に確約するつもりなんでしょうか。
現時点ではそこまで議論が煮詰まっていないと思うのだけれど、そう国内世論をまとめることが出来るんでしょうか。

どちらも茨の道なのかと。
これまで密約だったのは、密約とせざるを得ない理由があったからで、「密約はよくない」というのは正論ですし、自民党時代の政策を批判するのもいいのですが、民主党は、それを明るみに出した後どうするか、求められる政治決断をする覚悟で臨んでいるのでしょうか。
まぁ、密約は破棄する一方、「米国からの事前協議がないので、核兵器を搭載した米艦船は寄港も領海通過もしていない」が政府の公式見解で、よって米国に要求する必要もない、ということになるんでしょう。
・・・あら、密約の存在を認めるかどうか違いだけで、実態は別に自民党時代と変わらないのか、なるほど。
とはいえ、同じ「現状を黙認」でも、米国側からすれば「密約によって合法」から「日米安保条約違反」に変わるのか。

んー、「密約」の法的地位とか、法的整理がどうなるのかよくわからないのだけれど。
あ、それ以前に、あまり細かくフォローしてないので、「現在も密約を前提に核を搭載した米艦船が寄港、領海通過を行っている」という認識で書いているんですが、これ自体が間違ってたらすいません。

2009/12/21

雪、どうしてこうなった・・・


先週の話ですが、アイオワは寒波に襲われました。
今日あたり、アメリカ東海岸、ワシントンが大雪で大変なことになっているようですが、
アイオワでも結構、雪も積もりました。

吹雪いていた日は一日、小学校から大学まで休校になったそうです。
普段、自転車で行動するのですが、この日は流石に無理。
まぁ、雪景色も乙なものと、童心に帰って歩いていると、
ドリフ並みの華麗さですっ転びました。
最早、お約束のレベルで。
しかしあれ、なんで、人に見られると恥ずかしいのに、
誰もいない所で一人転ぶと、寂しさが沸き起こるんでしょう。
それ程の距離があるわけでもなく、往復小一時間歩いただけですが、翌日、
筋肉痛になりました。

雪が降り積もる日も寒かったのですが、最大の寒波はその翌日(翌々日かな?)。
すっかり晴れ渡り、冬の空の深い青と白銀の街景色が美しい。
街角の電光掲示板の温度計が誇らしげにマイナス表示。
はっ?
ここはアメリカです。
紙にはA4でなくletterサイズを、センチでなくインチを、リットルではなくガロンを使うお国柄。
摂氏でなく、華氏です。
摂氏を32を減じて5を乗じて9で除すると出てくるあれです。
要するに0°F=-17.77℃。
12月にこれはモスクワを超えたねっ!!

メインの通りは除雪もそれなりにしっかりされているので、自転車使ったんですが、
分かったこと。
-20℃近い世界で自転車に乗ると、
自然に涙が溢れてきます。
デフォルトでドリフト機能が装備されます。
ギアチェンジが出来ません。
でも、意外に乗れます。
あと鍵をかけなくても心配ありません。

今日は一週間ぶりに雪が降ってましたが、
今週に入って気温は0°付近、
このくらいのまま冬を越せないだろうか。

民主党、やっぱりこうなった・・・(2)

農家の戸別所得補償、満額実施へ 事実上の減反選択制 (asahi.com より)
制度は、対象作物の販売価格が生産コストを下回って赤字になった場合、国が直接、差額を穴埋めするものだ。
(中略)
制度の対象を「すべての販売農家」に広げたため、生産コストが高い小規模農家を「温存」しかねないからだ。民主党内には「小規模農家も食糧供給と環境保全の役割を果たしている。大規模化を政策誘導する必要はない」との声もある。
民主党は、票集めを日本の農業の再生より優先させるみたいですね。

今の日本の農業に必要なのは、どう考えても大規模化を進め、競争力をつけることでしょう。
農政としては、現在の個々の農家を支えるのではなく、日本全体の農業の効率化を図るべきです。
「小規模農家も食糧供給と環境保全の役割を果たしている」かもしれないけれど、大規模農家に集約したほうが、よっぽどその役割は大きくなります。
まるで、「この車は燃費も悪いけど、維持費にお金もかかるけど、まだ走るという「役割を果たしている」から、より燃費がよく、早く走り、総合的に得になる車へは切り替えません」というロジックに聞こえるのだけれど。

今回の政策は、販売価格が生産コストを下回った場合、その赤字分を補填するものですが、本来ならその生産コストを引き下げるためのインセンティブを与えるような政策にしなければならない。
政府の数量目標を達成すれば黒字農家でも補助金がもらえるわけで、そうしたインセンティブが全くないとは言えませんが、農業全体でより生産コストを引き下げ競争力をつけるには、大規模農家に生産を集約していくことが最も望ましいはずです。
しかし、「すべての販売農家」を対象とした今回の政策では、小規模農家にとって自分で生産し、補助金を受け取ることが合理的な判断になるわけです。

しかも、ここでいう小規模農家には兼業農家が多く含まれ、現時点でも一般に補助金等を含めた総収入は兼業農家が専業農家を上回っているといわれています。
もちろん、そうした専業農家をただ潰せばいい、ということではなく、兼業で農業をやるよりも、農地を専業農家に貸し出す方が得になる、ようなインセンティブをかける政策を模索すべきではないでしょうか。
その結果、農業が集約化することで、効率も上がるはずです。

記事中、「農家の評判はいい」と赤松農水省が語ってますが、そりゃ、ばら撒いてもらえる農家に評判がいいはずでしょう。
そして、小規模農家が生き残れば生き残るほど、民主党へ集まる票数も多い、ということですな。
農業に限らずですが、現在のある業界構成員へ利益となる政策が、将来のその業界全体のためになるとは限りません。
しかし、利益団体として政治に圧力をかけるのは、現在の構成員であって、かつそれ以外の人々にとっては明確な利益が見えないために無関心になりがちです。

一番重要な問題は、これまでの自民党の政策によって弱った日本の農業をどう立て直すか、のはずです。
民主党は自民党の集票マシーンであった農協を潰しにかかっていますが、
やってることは往年の自民党と本質的に変わらない気がします。
農家のための政策」なのか「農業のための政策」なのか、考えないといけないのではないのでしょうか。

しかし、何故に、これでも、民主党の支持率は落ちないのでしょうか。
伊藤洋一氏がポッドキャストで鳩山首相は「八方美人的な対応で八方塞がりになっている」と評していました。うまいこと言いますな。

トラックバックとgoogle日本語入力

多少時間が出来たのでPCのデータ整理等をしていたのですが、
ついでにトラックバック機能を付加し、google日本語入力をダウンロードしました。

このブログで利用しているブログ・サービス、googleのbloggerですが、
最大の不満点がトラックバック機能がデフォルトで付いていない点。
数時間、色々と試行錯誤した結果、一応、それらしいものが付けられました。
ソースの解析とか、ほんと無理です。
htmlをエディタで開いた瞬間に絶句。
初めてロシア語に接した時ぐらい、無理な気分。
今でも無理ですけど。
動作確認はしてませんので、使えるのか良くわかりませんが。

それから、コメ欄が、他サービスのコメ欄とbloggerのコメ欄が併存してしまってますが、
コメントを残して頂ける際はbloggerのコメ欄を使っていただけると幸いです。

最終的に以下のサイトが非常に参考になりました、先人に深謝。
・Ituverava  Bloggerでトラックバック -Bloggerカスタマイズ
・スマートフォンで何しよう!?  JS-Kitの周辺、ちょっとだけ修正しました


それから、google日本語入力、噂通りの賢さに驚愕です。
特にこれまで誤変換が酷かった著名人や作品名等には脱帽です。
「すずみ」と打った時点で「涼宮ハルヒの憂鬱」が候補に上がるとは。。。
まだの方には是非ともお勧めです。

俺、どうしてこうなった・・・

■アニオタならこれくらい簡単だよね(今日もやられやく より)






簡単でし・・・た(?)。
到底全部は観てませんが、ちょこっと観たもの、一応存在を知ってただけのも含め8割方出典わかってしまったので、まぁ、及第点レベルには。

「クロス・ゲーム」、面白いですよ。
あだち充の作です。
「タッチ」が好きだった方にはお勧めです。



回答;
マリみて、青い花、青い花、クロス・ゲーム、ザムド、リミテッド、たいやき
めちゃモテ、ポリフォ、あらし、まにまに、プリラバ、よくわかる

2009/12/20

民主党、やっぱりこうなった・・・

公約修正「国民は理解してくれる」 民主・輿石氏 (asahi.comより)
輿石氏は「公約は今も変わっていない。しかし、どう見ても財源が足りない。税収の落ち込み、景気の二番底も心配される」と指摘。さらに「財源がなければ政権公約を段階的にやることを、大多数の国民が理解してくれる」とマニフェスト違反はやむを得ないとの考えを示し、「(内閣が)やむを得ない措置として考えた場合、国民にきちんと説明責任を果たしていくことだ」と強調した。
あれ、民主党は「無駄を削減すれば財源は十分ある」って言ってませんでしたっけ?
「国民にきちんと説明責任」ですか、鳩山総理はご自身の母親から受け取った「子供手当て」について何の説明責任を果たさず、「最後は私が決断します」を連呼する割に、した決断は基地移設問題の「結論先送り」ですけれど。

どうでもいいんですけど、この「教育の政治的中立はありえない」との信念をお持ちの輿石氏、山梨県の教職員組合関連の問題ってどうなったんすかね、半強制カンパとか。
民主党が政権につき、「日教組はつぶす」と言っていた中山成彬氏(この人はこの人で問題もありましたが)を始め自民党の退潮著しい中で、日教組はやりたい放題。
先にそのあたりの説明責任を果たしていただけるといいかと。
(参考;山梨の教育界の状況なんかは産経の阿比留記者のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」でしばしば取り上げられていて興味深いですよ。例えばこのあたりのエントリーとか
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1268676/ )

あと、ホントにどうでもいいんですけど、輿石氏のホームページのトップページで、2枚の写真が入れ替わって表示されるんですが、その一方の子供たちに囲まれてる写真。
どう観ても子供たちの表情がどれも嫌がってて暗いようなんですが、日教組をバックに背負う政治家なんですから、もう少し写真は選ん(ry

しかし、何故に、これでも、民主党の支持率は落ちないのでしょうか。

2009/12/18

foresight、どうしてこうなった・・・

こんなメールが届いてた。

「フォーサイト」休刊のお知らせ
「フォーサイト」を創刊したのは、ベルリンの壁が崩壊し、米ソの首脳会談で「冷戦の終結」が宣言されて間もない1990年3月のことでした。国内的にはバブル経済が崩壊しようとしていた時期にあたります。以来、二十年間、冷戦後の国際情勢と日本の政治経済の最先端の動きを伝えるクオリティ誌として、政界、官界、経済界を中心に高い評価を得てきました。
 しかしこのたび、創刊二十年を一つの区切りとして、2010年3月20日発売の4月号をもって、休刊をすることになりました。その理由としては、(1)厳しい出版状況に直面する中で、全社的な事業の再編、特に雑誌部門の見直しが避けられなくなったこと、(2)二十年間の健闘はあったものの、今後の収支改善の見通しが立たないこと、(3)インターネットの普及で、国際政治経済情報を扱う月刊誌の役割が大きく変化したこと――の三点があります。
 長年にわたって「フォーサイト」にご協力いただいた寄稿者をはじめとする関係者の方々、そして、なによりもこの定期購読誌を支えていただいた読者の方々に、この場を借りて、心よりの感謝を申し上げたいと存じます。
「フォーサイト」の刊行を通じて培われた経験は、小社の今後の出版活動に生かしていく所存です。
2009年12月 新潮社

          ,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、
        /イハ/レ: : :/V\∧ド\
       /::^'´::::::::i、::::::::::::::::\
     ‐'7::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ::;、:::丶
     /:::::::::::/!i::/|/  ! ヾ リハ:|;!、::::l
    /´7::::::::〃|!/_,,、   ''"゛_^`''`‐ly::ト
      /|;ィ::::N,、‐'゛_,,.\   ´''""'ヽ   !;K
        ! |ハト〈  ,r''"゛  ,      リイ)|
          `y't     ヽ'        // あははははは
         ! ぃ、     、;:==ヲ   〃
         `'' へ、   ` ‐ '゜   .イ
              `i;、    / l
                〉` ‐ ´   l`ヽ
            / !        レ' ヽ_
         _,、‐7   i|      i´   l `' ‐ 、_
     ,、-‐''"´  ノ,、-、 / 、,_ ,.、- {,ヘ   '、_    `ヽ、_
   / i    ,、イ ∨ l.j__,,、..-‐::-:;」,ハ、 '、` ‐、_   ,`ヽ
  /  l ,、‐'´ // ',/!:::::::::;、--ァ' /  `` ‐   `'7゛
 /   l  i  ´  く   ';::::::l  / /         / 
/     ! l      \ ';:::l , '  /        i/    




・・・あ、ありえん。
要するに新潮社に金がない、ってことか。
こうして質の高い雑誌から廃刊していくのかぁ。
インターネット時代の悲劇ですな。

インターネットで色々なブログや論説を読むのも良いのだけれど、
質の高い記事も稀にある一方で、どうしても纏まった記事になっていなかったり、読む記事の傾向が偏ったりしてしまう。
そこいくと、フォーサイトは、練られた、纏まりがある記事が多く、政治経済国際の幅広い分野を網羅し、定期購読によって定点観測的に読見続けられるのはメリットだったんだけどなぁ。

月間1冊1,000円を倍額にしてもいいから続けて欲しい。

2009/12/17

需要か、供給か。

竹中氏「供給側に基礎」・菅氏「需要側が重要」 成長戦略策定会議 (NIKKEInet)
【菅vs竹中論争】(1)竹中氏「郵政の再国有化は残念」(MSN 産経ニュース)

成長戦略策定会議での菅副総理と竹中氏のやりとり、経済成長のベースが「供給か需要か」が話題になった。
供給側について産経ニュースから竹中氏の発言、
経済成長の基礎は、経済の供給側、サプライサイドになければいけない。これは常にそのように考えています。もちろん需要側は重要なんです。しかし、需要というのは供給を上回って成長することは絶対できませんので、その天井を決めるのは供給側です。しかし、現実に日本の政策論議では供給側の議論というのはほとんどなされません。サプライサイドが決めるものは何かというと、資本を増やすこと、そして労働投入を増やすこと、そして技術を高めること。
供給側に経済成長の基礎を置くということは、具体的には、企業への減税や民営化の促進、規制緩和、技術開発への支援、人口増加(移民政策)等でしょうか。
他方で、上記記事には菅さんの発言は細かく出ていないのですが、
需要側に経済成長の基礎を置くということは、具体的には、個人への減税や個人への直接の補助金(子供手当等)、公共事業等でしょうか。

需要が一時的に減少した不況下では、政府による需要喚起は意味もあるでしょう。
しかし、バブル崩壊以降続く不況で、基本的には需要を喚起し続けてるんですが、一向に不況から抜け出せないように見えるのは私だけでしょうか。
もちろん国際的な経済情勢のためもありますが。
ばら撒き政策、といっては言い過ぎかもしれませんが、需要側の政策は一度のカンフル剤としては有効でしょうが、それに慣れてしまえば、現状を維持する為だけにもカンフル剤を打ち続けなければなりません。
しかし、継続性の観点から言って、税収よりも多い国債を発行し続けることができるでしょうか。

そもそも、現在の不況の原因ですが、一時的な需要の減少だけだとは思えません。
竹中氏が言うとおり、「需要というのは供給を上回って成長することは絶対できませんので、その天井を決めるのは供給側」であって、その天井、つまり潜在的な成長率が極端に下がっているのが現在の不況の原因ではないでしょうか。
その意味で、構造的な不況なわけです。
すでに政府による需要の下支えに日本経済が長らく依存してしまっている事もあり、需要の喚起は必要でしょうが、
このまま借金を永久に続けられない以上、供給サイドの政策によって、生産性を上げるしかないのではないでしょうか。

こうした議論には、小泉・竹中時代にそうした新自由主義改革によって格差が広がったではないか、という批判が直ぐにあがります。
しかし、記事中にもありますが、小泉・竹中時代は確かに経済は成長していたのです。
個人的には不良債権の処理を終え、それまでの不況に終止符を打った、というだけでも小泉・竹中時代には意味があったと思っています。
結果として格差は広がったとは言いますが、あの改革がなければ、更に不況が悪化し、より悪い状況になっていたのではないでしょうか。
更に言えば、改革の歪みは一時的に生まれたかもしれませんが、改革が続いていれば、成長が続いていれば、歪みも矯正しようがあったのに、構造改革に挫折して逆回転してしまったことが、寧ろ歪みを大きくしているようにも感じます。

思えば、バブル崩壊以降、
→ 当初の不況対策の需要喚起
→ 橋本首相時代の改革
→ 小渕首相時代のばら撒きへの回帰
→ 小泉首相時代の改革
→ 麻生首相~鳩山首相のばら撒きへの回帰
と経済的なベースが揺れ動いているようです。
片方へ傾けば揺り戻しがあって、中道へ落ち着く、日本的とも言えなくもないですが、
結局政策を貫徹出来ないことが、問題の長期化の原因だと思います。
言ってしまえば、いずれも中途半端。
需要喚起的な政策も、当初の時点で、もっと大規模にやっていれば、こんな状況にはならなかったのでは。
そもそも、自民党が長らく借金=赤字国債を発行したので、新たに赤字国債を発行しづらい状況になっていたために小出しにせざるを得なかったところはありますが。
しかし、事、ここに至っては、時間が経てば経つほど、赤字国債は益々発行し辛くなるわけで。

経済を専門に勉強したわけではないのですが、あまり正しい認識ではないかもしれませんが。

2009/12/05

日本経済、どうしてこうなった・・・

「ドン引きされる日本」TOPIX年初来変化率ついにマイナスに (経済ニュース;searchina)より

■2009年 G7の主要株価指数の年初来変化率(11月18日時点)
アメリカ : +22.87%
カナダ : +29.65%
イギリス : +20.48%
ドイツ : +20.32%
フランス : +18.96%
イタリア: +19.91%
日本 : -1.07%

日本を除くG7諸国はいずれも今年すでに2割~3割程度株価が上昇中です。

■2009年 アジアの主要株価指数の年初来変化率(11月18日時点)
中国 : +81.42%
香港 : +58.75%
韓国 : +42.64%
台湾 : +69.16%
タイ : +57.18%
インド : +76.20%
ベトナム : +75.47%
フィリピン : +62.99%
パキスタン : +55.92%
スリランカ : +97.66%
マレーシア : +45.43%
シンガポール : +55.83%
インドネシア : +83.28%
バングラディシュ : +45.88%
日本 : -1.07%

 日本を除くアジア諸国では、最低の韓国でさえ4割上昇中。インドネシアでは大地震がありましたし、パキスタンでは自爆テロを含む武装勢力との抗争が続いていますし、スリランカは反政府ゲリラ組織との内戦状態にあります。そんなアジアの不安定な国々でさえ、今年は軽く2桁株価が上昇中。


衝撃的です。
新興諸国との比較で大きな差がついているとは思っていましたが、先進諸国との比較でもこれほどとは。。。
日本には投資できないわ、こりゃ。

先進諸国と比較して、その他の経済指標がそんなに悪いとも思えません。
主要因は、やはり「鳩山売り」ですかね。
首相の発言は一貫せず、閣僚らの経済音痴振りを示すような逸話も連発。
経済成長に利するとは思えないような政策群に、
無駄を省いて捻出するはずの予算は、赤字の拡大の見通し。
支持率は未だに高いようですが、ビジネス関係者からは不評もいいところ、でしょう。

経済には、自己実現預言的な所があって、誰もが景気が上向くと「期待」できれば、本当に景気が上向いていったりする。
方法論は違ったとしても、小泉首相のような一貫性とビジョンのある方針と政策を打ち出せれば、よっぽど安定すると思うのだけれど。

2009/11/20

事業を仕分けてどんな国家をつくりたいのか。(2)

(先のエントリーの続き)

また、今回の刷新会議では、地方への移管が決まったものも多い。
地方への移管というと、最近の地方自治重視の流れから聞こえはいいが、今後の地方と国の関係をどうするのか、という大局的な判断なしに、各事業について拙速に決めてしまっていいのだろうか。
2000ほどの地方自治体に任せて本当に大丈夫か、というあたりが非常に心許ない。
というのは、地方公共団体への権限の移管が進めば、必ず落ちこぼれる自治体も出てくると思うからだ。
大都市のように国に権限委譲を要求し自由度を高め、独自性を打ち出した地方自治を行う意欲と能力を兼ね備えた自治体ばかりではないのだ。
バブルも末期、「ふるさと創生事業」の名の下に1億円ずつ地方自治体ごとにばら撒いた事業が行われたことがあったが、宝くじに費やしたり、どうしょうもない箱物をつくったり、活かしきれなかった自治体が多々あったことが思い出される。

国の組織がやれば安心、ということを言うつもりはないし、個人的には例え、潰れる自治体が出てこようとも、自治の意識を高め行政への市民の参加を促すためにも、地方分権は進めたほうがいいと思っているのだが、それでも、現在、国にそこまでの覚悟があってやろうとしているのか疑問であり、なし崩し的に進んでいるように感じられる。
勿論、今回委譲される個々の事業で、すぐに地方がその運営に失敗する、ということはないだろうし、効率の観点から望ましいものも多かろう。
しかし、そもそも地方自治体と国家の関係をどうするのか、政府の意向、コンセンサスが曖昧なうちに、そのあたりを意識しないで、個別の事業だけ見直し移管を進めるのは危うい面があると思われるのだ。

誤解のないよう繰り返すと、今回の事業仕分け、各事業の実現性や効率性といった観点からの刷新が不要だ、と言いたいのではない。
事業仕分け自体は画期的な試みだし、有用だろう。
しかし、刷新の基準のレベルは2段階が必要、と思うのだ。
「どういう国家像を目指すのか」というレベルの下に、今回の「事業の実現性、効率性」と言ったレベルの判断があるのではないか。
そして、第一段階のレベルで基準があまりに曖昧で不明確なのだ。
逆に、例えば、スパコン見直しについて科学技術に対するスタンスが曖昧だと書いたが、仮に今後日本は何を差し置いても科学技術立国を目指すべく傾注する、との方針があったとしても、だから今回のスパコンの見直しは間違いだった、と即断はできない。
(上にもリンクを張った)池田氏の批判のような問題点、有用性、実現性、効率性、公平性や手段の適切さの検証は必要であるし、有効である。
各事業におけるそうした点は、これまでの行政で欠けていた視点であり、「お役所的な」仕事は見直されるべきだ。
その意味で今回の事業仕分け自体は避けがたいものであり、それが公開性を高めて行われたのはよいことだと思う。

それから、今後の国家像が見えないと指摘したが、当然、これには刷新会議だけの問題ではなく、寧ろ鳩山政権の政策方針の不明確さや、政治がビジョンを持てていないことが指摘されよう。
民主党のマニフェストはあったものの、ありとあらゆる方向に「いい顔」をしていて、大きな絵は描かれておらず、それぞれの分野を比較したときの優先度、限られた資源をどう分配するか、は曖昧なままだ。
明確にこうだ、という文章になっていなくてもよいのだが、国民全体の未来のイメージがなく、漂流している印象を受ける。
例えば、高度経済成長期は「所得倍増計画」のような、経済発展という明確なイメージがあったし、或いはブッシュ前大統領アメリカ初期も、その善し悪しは別として、世界の警察官たる、一極支配する、強いアメリカという明確なイメージがあったように思える。

これに関連して、現在の日本が抱える根本的な原因は、無理だと分かっているにも拘らず、意識的にせよ無意識的にせよ、未だに高度成長的な思考から抜け出せずにいることが指摘できるのではないだろうか。
つまり、経済は成長し、成長した分だけ増加した予算分を、どこに振り分けるか、を考えていた政治から、限られた成長、時には減少すらするパイをどこに集中するか、を思考しなければならない政治への転換ができていないのだ。
八方美人的に、ありとあらゆる方向を向いていい顔が出来ていた政策の時代から、明確な方向性をもって、意識的に必要なものを「切る」政策をしなくてはならない時代になっている。
高度成長期が増加分を奪い合い、結果的に四方八方にばら撒いていた時代であるなら、現在はその惰性から抜け出せず、減少分を押し付け合い、結果的にしわ寄せをあちこちに押し付け、痛みを分散させつつ、どこも伸ばせなくなっているのだ。
今回の刷新会議で様々な事業が俎上にのり、削減されていく姿に、「刷新」ではないとまでは言わないが、高度成長期の「総花的」なイメージのアナロジーで、「総削減的」なイメージを想起したのは私だけだろうか。

その上、赤字国債という負の遺産は、まさに高度成長期にすら経済成長分だけでは飽き足らず、未来から将来の成長を当てにして、前借した借金である。
当てにした将来の成長がなくなった現在、甘い汁を先に吸ったばかりに、困窮の度が増していることを認識すべきだろう。
その上で、「どんな国家を目指すのか」という大きな方針のもと、痛みを伴ってでも選択と集中を行うことが必要ではないだろうか。
こうしたグランドデザイン的な議論は抽象的で、個別の具体論のほうがわかり易いのだが、是非、大きなイメージを政治家に覚悟を持って語ってもらいたい。
刷新の思想的背景がない、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも、聞こえはよくとも全ての分野に「友愛」だけで政策を行うことは出来ないだろう。

事業を仕分けてどんな国家をつくりたいのか。(1)

行政刷新会議による事業仕分けが進んでいる。
自民党では到底無理だった革新的手法で、あるいは公開の場で議論が行われ、無駄が省かれつつある、と高く評価される一方で、1時間の議論で何がわかるのか、そもそもどの事業を仕分けするのか財務省の恣意的判断によっている、等の最もな批判も多い。
例えば、
事業仕分けという人民裁判池田信夫 blog
事業仕分けへの批判に異議あり!霞が関牽制の意味は大きい 週間 上杉隆(Diamond online)
などが、興味深かった。

さて、私もこれは大きな改革の始まりになり得る可能性を秘めた会議だと評価できるし、個別の問題で改善するところは多々あると思が、それ以前に気になった点がある。
思うに、「事業仕分け」の結果どんな国家をつくりたいのか、といった、大きなビジョンがどこにも語られていないことではないことが、一番の問題ではないだろうか。
個別の議論をするのはよしとしても、俯瞰的な視点が欠けているように思われるのだ。

今回の事業仕分けでは、以下の五つが評価項目(asahi.com)として挙がっている。
(1)事業が必要か
(2)国が担わないといけないか
(3)来年度予算に盛り込むべきか
(4)事業内容や組織、制度などに改革の余地はあるか
(5)予算額は妥当か
確かに、個々の事業の必要性について論じるのは勿論大事なことであろう。

しかし、これらの基準はあくまで個別の基準であって、その上に国全体としてどの分野をどう戦略的に強化するのか、という段階の基準があるべきだろう。
「事業が必要か」という問いだけでは、「誰にとって」「どの程度」「何のために」必要かが極めて曖昧である。
一般的な現在の社会通念に照らして、その政策が「明らかに不必要」と即断できるのであれば、そもそも、流石に中止されている。
一般に国が行う事業は程度の差はあれ少なくとも「ないよりはあったほうがいい」ものがほとんどだろう。
少なくとも、その施策によって便益を得ている(言い方が悪ければ、それに助けられている)人たちは必ずいる。
時に明らかに全体として有害でも、一部の人にとっては大きな利益となっている(つまり、一度発生した便益はそれを握る人の既得権益となり、その一部の権力の強さによって残されている)ものもあろう。

そして、そうした利益を得ている(言い方が悪ければ、政策対象の)人たちからは、削減や見直しについて、必ず反発が起こるであろう。
実際、事業仕分けはまさに「総論賛成各論反対」状況で、各決定に対してそれぞれの分野から反発が起きている。
文部科学省や経済産業省が国民の声を募る(asahi.com)として、意見募集をかけているが、
それぞれの分野にそれぞれ関心をもつ国民は必ずいるだろうし、様々な反論にはいちいち最もなものも多い。
無限の財源があるなら全てに拠出したいところだ。

しかし、当然ながら財源には限りがあり、それどころか、日本は負債を抱える国家でもある。
その上、自然に今後も経済成長を続けられるなんて楽観できる状況ではない。
「あれも、これも」は無理なのだ。
で、あるならば、個別の事業評価の前に、どの方面の事業に力を入れていくのか、ひいてはどんな国を目指すのか、の基準が明確である必要があるのではないか。
しかし、個別の事業を並べて、順番に評価を下していくだけでは、そうしたもっと大きい次元でのデザインがまったく見えてこない。
さらに言えば、これには、その事業が必要な人がいたとしてもそうした大方針に沿わないものは切る、という覚悟も求められる。
そうしたビジョンを提示し覚悟を示す事こそ、政治家の役割だろう。

いくつか個別の例を取り上げたい、例えば、医師確保、救急・周産期対策の補助金等について、補助金が有効に活用されていない、という観点から削減が決まった(刷新会議評価コメント(PDF))
これに対して猪瀬氏が反論(nikkei BP net)しているが、これも非常に最もな気がする。
私にはこの問題の妥当性は分からないが、こうした個別の評価や必要性を検討し見直していくことは非常に大事だし、他方で実際に必要としている人の反論に耳を傾けることも必要だろう。
とは言え気になるのは、この削減について、今後の福祉をどんな形にしていくのか、という視点が感じられないことだ。

仮に削減が、医療の世界でも(ステレオタイプとして)「アメリカ」型の自己責任社会を目指します、というのならそれもいいだろう。
或いは「周産期医療」を犠牲にしてでも、「高齢者医療」を充実させようというようなコンセンサスがあってやるなら(当然私個人は反対だけれど論理として)それはそれでいいだろう。
または、もう国家財政危機なので、ありとあらゆるものを徹底的に削る、というような方針でもいい。
ここの評価シートだけでそこまで求めるわけではないが、ワーキンググループ全体、または鳩山政権の方針としてビジョンがないように思うのだ。

或いは、スパコンについて、見送りに限りなく近い縮減との評価が下された(刷新会議評価コメント(PDF))。
スパコンなしに今後の科学技術立国はありえない、といった批判が、様々な方面から相次いでいる。
「2位でもいいじゃないのか」の議論には、スパコンのみならず、今後の日本の科学技術に対するアプローチ方向を示唆するニュアンスがあるが、そこまで考えられた議論だったのだろうか。
仮に、今後の日本は科学技術立国を目指すよりは福祉を優先する、経済成長を目指すのをやめることもできるだろう、縮小均衡でいいのではないか・・・等の大方針の下に決まったのならばそれもいいだろう。
評価コメントのなかで「スパコンの国家戦略を再構築」するよう指摘されているが、科学分野全体の国家戦略によって、その位置づけは大きく変わってしまうだろう。

同じく科学分野で、GXロケットの開発について「ロケットがどうなるか分からないのに、エンジン開発に何十億円もかける意味があるのか」との意見があったが(Yomiuri online)、今後、どの程度本気で日本が宇宙を目指すのか次第では、「ロケットをどうにかするためにも、エンジン開発を続けることが必要だ」といったロジックも有り得るのではないか。
そもそも今後の日本の中で「科学技術」をどの程度の優先に置くのか、その上で科学技術の国家戦略の中でスパコン、ロケットをどう位置づけるか、という大枠も必要であろう。
なお、スパコンについて以下の指摘が示唆的であった。
沈没した「スパコンの戦艦大和」 (池田信夫 blog)
スーパーコンピューターを復活してほしい - 西 和彦 (アゴラ)
池田信夫 対 西和彦(アゴラ)
スパコン保護政策がIT業界をだめにする - 池田信夫(アゴラ)


(長くなったので次のエントリーに続きます。)

2009/11/18

tt Blu-ray Box 完全予約受注限定生産の件(その2)、

祝!!予約2000枚突破!!
ktkr

ネットの力、ってほんとすげーな。

ここにtrue tears BD化の流れがまとまってるお。
これは最早ドラマといっても過言でないお。

2009/11/12

何か、おかしい。

何か、おかしい。

日銀総裁人事で2度も不同意をし、官僚出身者は一切ダメだと主張していた民主党。
日本郵政公社社長に斎藤次郎元大蔵事務次官
人事院人事官に江利川毅前厚生労働省事務次官。

何か、おかしい。

鳩山由紀夫首相、5億円以上の巨額な資産報告漏れ
恵まれた家庭に育ったものですから、自分自身の資産管理が極めてずさんだったことを申し訳なく思います。


何か、おかしい。

官邸の記者会見は開放されない

何か、おかしい。

増税もせず、赤字国債も発行せず、無駄を節約して予算を捻出。
概算要求は95兆円

何か、おかしい。

行政刷新会議の「事業仕分け」。

何か、おかしい。なんとなく、そんな気がした。

事業仕分けという人民裁判 - 池田信夫 blog
あぁ、そういうことか。




・・・あ、いや別に、「何か、おかしい。」って8回言いたかっただけです。

倍音とは何か(補足、蛇足、具体例)。

先のエントリーに加えて、具体例とトリビアルな話をいくつか。


様々な楽器の音色の違い、そして須らく音質は、その含む倍音のバランスによって決まる。
一般的にいって、倍音がないと味気なく、バランスが悪いと心地悪い響きになり、倍音が多いほど豊か丸くに聞こえるようだ。
(ちと、音をどう表現するか言葉が難しいのだけれど、取りあえず、イメージとしては。)
例えば、トランペットを始めとした金管楽器は、最もバランスよく全ての倍音が含まれている(らしい)。
(バランスが良く、と言うのは、全ての倍音が含まれていて、基音から離れる倍音ほど音量が減衰する、という意味。)
他方で、オーボエを始めとしたダブルリードの楽器は一定の倍数の倍音がすっかり欠落している(らしい)。
このため、管楽器は丸みを帯びた音、リード楽器は鋭い印象の音色を持っている(らしい)。
ただ、オーボエの音が好きだ、と言う人がいることからも明らかな通り、音色に関して、別段、倍音が多ければ多いほど良いというわけではない。
何を「いい音」とするかは、最終的には個人の好みの問題なので。
オーボエを始めとするダブルリード楽器がソロ楽器なのは、一定の倍音の欠落による鋭い音の印象から、目立つ音になりやすいため、また管楽器が重厚な和音やハーモニーを作るのに使われるのは、倍音の含み方のバランスがよく、和音を作るときに響きを深くしやすいから、といえるだろう。
いずれにせよ、音色の違い、楽器の特性はこの倍音の含み具合、どの倍数の倍音が強いとか弱いとか、全体のバランスの差によって生まれているのだ。

細かい構造は知らないのだけれど、管楽器が同じポジション(例えば、トランペットで言えば開放=バルブを何も押していない状態)で鳴らせる音は、綺麗にこの倍音の順(ド→ド→ソ→ド→ミ→シ♭・・・※トランペットの場合、調が違います(ド=B♭)がここでは便宜的に)になっている。
一説によるとサックス等、木管楽器でも、相当困難であるが、同じポジション(運指)で、倍音にあたる他の音を出せるらしい。

倍音を豊かに含む音を集めて作るハーモニーについて、面白い現象が知られている。
例えば楽器や歌声で「ド・ミ・ソ」を同時に鳴らして、それが豊かな倍音を含んでおり、綺麗に共鳴すれ(振幅が重なれ)ば、出していないはずの高音がクリアに聞こえてくる、なんてことが起こる(らしい)。
つまり、それぞれが共通して含んでいた倍音が相乗効果で可聴レベルまで強化されるということらしい。
この現象、かつては「天使の声」等と呼ばれていたらしい。

この倍音の含み具合、人間の声質にも当てはまる。
これについて、先のエントリーで書いた小室さんの本の中で面白い記述があったで、幾つか、メモしておく。
・歌手は「声質」が全て。
歌手を夢見る人たちも、・・・最初の段階で「×」なら、もういくら努力しても無理だ。次の段階へは進めない。音楽の勉強や歌唱トレーニングをすると、音痴はある程度解消できる。それなりのリズム感も身につく。しかし、声質だけはどうしようもない。
仕事柄、過去に何万人という歌手志望の人の歌を聴いてきた。
オーデションの審査員席にも何百回と座った。いつも基準は同じだ。
聴くのは声質。「そこだけ」といってもいいくらい集中する。(第五章 p200-202より)
(これ、歌手目指している人には結構ショックな事実ですよね。)
・プロのミュージシャンの録音の手法で、同じ声、同じ音程を二回重ねることにより、倍音成分を強調する、「ダブル」と呼ばれる手法がある、ビートルズも使っていたくらい常套手段。TM時代、宇都宮隆の声を重ね撮りし、聞いていたところ、他の誰かがハモリを歌ったのではないか、と思われるくらい、明確に聞こえたという(まさに上述の「天使の声」でしょう)。それほど宇都宮さんの声に豊かな倍音が含まれていたという話。
・小室さんが音楽的声質の持ち主として触れている人;宇都宮隆、宇多田ヒカル、KEIKO、美輪明宏、美空ひばり、松田聖子、姜尚中
・ハスキーボイスは独特の倍音構成を持つ声の一つ。一般的な声より複雑な倍音構成で、1オクターブ上の音が強く出ている場合が多い、或いは特定の倍音だけが削られ、特定の倍音だけが残る。例として、森進一、八代亜紀、ロッド・スチュワート等。
・歌手の理想的な声質がある一方で、逆の声もある。例えば、別に性格も悪くもない、話の内容もつまらないわけではない、なのに、何故か話しているとイラっとする。その人の声には響きを濁らせる倍音成分が多いかもしれない。
それぐらい、声質は大事なのだ。
関心があれば、この本を是非ご一読を。


また、更に、蛇足ながら、昨今、CDの販売減少が著しい中で、アニメのキャラソンが健闘しているわけですが、
勿論、ネット等に流れたCD全体の減少に比して購買層が違う、というのは大きな一因ではありますが、
俳優に容姿端麗な方が多いのと同様、声優というのは、言ってみれば声質に関しての超美男美女なわけで、
そもそも、人にとって心地よいと感じられる「声色」を持っている、ということも一因な気がします。
アニソンに関わらずですが、こんなに歌唱力ないのに、なんで売れてるの?というアーティストで、その声質が要因になってることって結構あるのではないでしょうか。

どーでも、いいですが、
最近ステレオポニーの「ツキアカリのミチシルベ」がヘビーにローテしてます。
あの声を裏返すぎりぎりのあたりの響きが最高です。

2009/11/11

メドベージェフ大統領 ビデオブログ 11月6日

2009年11月6日付、メドベージェフ大統領のビデオブログ。
クレムリンの公式HPから


ロシア語テキストはこちら

(仮訳)
2009年11月6日  モスクワ
伝染病で金儲けをするなど、まさに犯罪だ。
(保険社会開発相タチアナ・ゴリコワとの会談より)

タチアナ・ゴリコワ:今、医薬品に関する話になりましたが、まさにこの分野について、お話したいことがあります。残念ながら、医薬品と防護グッズの販売を巡って、投機的な動きが現れつつあります。 私は今週(月曜日)、医薬品生産業者を集め話を聞きました。インフルエンザの治療と予防のために推奨されている薬の医薬品製造業者達は皆、これら薬の生産者価格は上昇しておらず、今日起こっている価格上昇は、概して輸送・流通網に関わるものである、と言明しました。この会議の参加者には大手薬局チェーンも含まれており、そこで私は、人の健康を投機の対象にするなど最悪のものであるから、この市場におけるマネーゲームは、概してその参加者に不幸な結末をもたらすだろう、と警告しました。

メドベージェフ:あなたは警告を発して下さった。次は私の側からも、連邦反独占部局に対してこれらのプロセスを然るべく監督するように、また検事総長に対して、そのような悪意を持った行為が明らかになった場合には刑事手続きをとるよう、委託しよう。もうこれ以上、手をこまねいていてはならないのだから。
 実際に、伝染病で金儲けをするなど、まさに犯罪であり、これに対して、処罰し、責任を追及せねばならない。もう一度繰り返そう、そのような類の組織のリーダーに対しては、行政上ではなく刑事上の責任を追求し、処分を下さねばならない。そのために必要な法的根拠は、全て揃っている。

2009/11/10

tt Blu-ray Box 完全予約受注限定生産の件、

true tears がBlu-Raybox化!! ktkr。

・・・誰得、とか言わないで、お願いだから。。。それ以前に、知らない人が大半か。
今日から、公式HPでも募集が始まったようです。
「true tears Blu-ray Box」
13話収録:24,990円(税込)
収録時間:(予定)376分(本編 314分+映像特典 約62分)
スペック:リニアPCM(ステレオ)/BD50G×3枚/16:9(1080p High Definition)
申込受付期間:2009年11月10日~12月16日
※基本PCからご注文の対応になります。ご了承下さい。
※申込受付期間と入金受付期間が異なりますので、ご注意下さい。
入金受付期間:2009年12月21日~2010年1月8日
商品発送日:2009年3月26日

本商品は、条件付受注生産となっており、注文受付期間内に2,000個以上のご注文があり、かつ2,000個分以上の本商品代金のご入金が確認された場合のみ生産し販売いたします。本商品のご注文数が2,000個に満たない場合及び本商品代金のご入金が2,000個分に満たない場合、弊社は、本商品の販売を中止することができるものとします。ただし、本商品のご注文数及び本商品代金のご入金額が2,000個分に満たない場合においても、弊社の裁量により、本商品の生産、販売を行うことがあります。


因みに、これ、どこかのサイトのBlu-ray化して欲しい作品の投票で多数の票を集め、晴れてBlu-ray化が決まったとか。
特別サイトのみの完全予約受注限定生産ってのも含めて、この販売、なかなか興味深い新しい試み、だと思う。
これまでDVDしかなかったものがBlu-ray化するユニークな道筋が出来、かつ、生産者側からしても、生産前に確実にペイできる。
BD/DVD売れないと悲惨なことになるからねぇ、順次発売の途中で個別のDVDの発売中止(してboxのみと)した某アニメとか・・・、どんだけ売れなかったんだよ、頑張って再上場しろよ、つか(ry

閑話休題。
2000枚・・・どどーん。
あぁ、かなり微妙な数字だよねぇ。
作品の高評価の割りに、元のDVDはあんまり売り上げ伸びなかったんだよねー、確か。
アマゾンとかで買えないってのは存外不便だしなぁ、そんなに知名度があるわけでもないし。
行けそうな気もするが、行けなさそうな気もする。
でも、
ただし、本商品のご注文数及び本商品代金のご入金額が2,000個分に満たない場合においても、弊社の裁量により、本商品の生産、販売を行うことがあります

わいわい。

あー、2万5千円かぁ。いやぁ、欲しいなぁ。
これが即決出来るようなら『大人買い』って奴っすね。
どうしようかなぁ、とか言ってる時点で、大抵もう心は決まってるんだよね。
食費、削るか・・・。

因みに、OPの『リフレクティア』は神曲です。



みんな、買ってねっ!!

2009/11/06

倍音とは何か。

小室哲哉著『音楽と罪』の中で言及があって、触発されたので、倍音について、どこかで聞いた話、読んだ話、或いは経験的な話をまとめてメモしておく。
よって、出典と真偽は不明、また学問的なところ、用語の使い方も正しいかわかりませんが、「そういったもの」という感じで。


まず、音それ自体について。
音とは空気(だけとは限らないけれど、主に空気)の振動であって、その振動は波のように広がる。
オシロスコープでこの振動=音を波形として表示したものは、テレビや物理などの教科書で目にする機会もあるだろう。
同じ形の波が上下に周期的に繰り返す、あれである。
(なお、音には例えばガラスの割れる音から、楽器の音まで様々な音があるが、取りあえずここでは破裂音等の騒音以外の音程を聞き取れるもの考える。
因みに、そういった騒音、まったく音楽的でない音は、波自体が規則的に繰り返しておらず、波形がぐちゃぐちゃになる(らしい)。)

この音の波、周期的に繰り返す波のグラフは、
・振幅の高さ(上下幅)=音量
・振幅の頻度(周期幅)=音程
・波形=音質
の特徴があり、これが音の三つの要素である。

この中で、波形、音質を決めるものが倍音(の含み具合)である。
例えば、同じ音量、同じ音程の音でも、ブザーの味気ない音と楽器の響く音は全く別物であろう。
そうした違いが、倍音の含み具合によって生み出されている。

では、倍音とは何か、
一応定義としては、理論的には、ある高さの音(基音)の振幅の整数倍の振幅を持つ一連の音の事である。
仮に、基音の振幅の幅を1とすれば、1/2、1/3、1/4、1/5・・・の振幅の幅を持つ音が全て基音に対する倍音だと言える。
具体的には、「ド」の高さの音に対して、そのオクターブ上の「ド」、その上の「ソ」、「ド」、「ミ」、「ソ」、「シ♭」・・・・等が「ドの倍音」にあたる音である。
オクターブを上がるほどその数は増えていき、理論的には無限に存在する。
簡単に言えば、ある高さ音があるとき、その音と振幅の幅に関して関係を持つ音、がたくさんある、ということだ。

今、「ある高さの音(基音)」という書き方をしたが、現実の世界で、純粋にある高さのみの音はほとんどない(ブザーの音など)。
(騒音以外のたいていの)音は、基準となる高さの音に加えて、上記の倍音を一定のバランスで含んでいるのである。
具体的に言うと、例えばピアノの「ド」を鳴らすと、純粋な「ド」の高さの音以外に「ド」の一定の倍音が同時に鳴っているのだ。
(同時に鳴っている、というよりは、純粋な「ド」の高さとその一定の倍音の集合として、ピアノのドが構成されている、と言ったほうがいいかもしれない。
或いは「倍音を含んでいる」といった言い回しがされる。)

そして、この倍音をどういうバランスで含んでいるか、によって「音質」の違いが生んでいる。
例えば、ブザーの「ド」とトランペットの「ド」を同じ音量、同じ高さで鳴らしたとする。
ブザーの音が味気ないのは純粋にその高さの音のみが鳴っているのに対して、トランペットは「ド」を基音とした倍音が同時に鳴っている故に音楽的に感じられるのである。
同じ音楽的な音で、例えば、ピアノの「ド」とトランペットの「ド」をやはり同じ音量、同じ高さで鳴らしたとする。
それぞれの音は「ド」の倍音を違ったバランスで含んでいるので、「音色」に差が生まれるのだ。
逆に、同じ楽器であるなら、例えばトランペットであるならば、「ド」であれ「レ」であれ、その音を基音として、含む倍音のバランスは同じである。
つまり、ある高さの音(基音)に対して、無数に存在する倍音の中で、どの倍音をどれだけ含むか、によって、音質の違いが生まれている、と言ってもいいだろう。

因みに、「倍音」は基音にたいして整数倍の振動幅を持つ音(無数にある音全て)、と定義したけれど、一般的な場面では、「トランペットの倍音」といった使い方で、具体的な(楽器等の)ある音に対して実際に含んでいる倍音のみを指して用いることも多い。

また、音色とオシロスコープの波形の関係では、一番イメージされるであろう綺麗な縦丸のような波の形(正弦波)をしているものは、(ブザーなどの)純粋なその高さのみの音である。
楽器ごとにこの波形が違うのだが、例えば、管楽器では、三角型になるらしい。
この楽器ごとの特色がある波の形は、それぞれ含んでいる倍音の正弦波に分解出来るらしい。
(逆に言うと、基音と構成する倍音の正弦波を全て集めるとその音の波形になる。)

なお、倍音と音色の関係は理論的には上記なのだけれど、現実の世界では、音自体が揺らぐことも多く、また、実際に含まれているはずの倍音の振幅幅自体が綺麗に整数倍にならないこともあるらしい。
また、同じトランペットと言う楽器であっても、個々の楽器によって音色に違いがあるように、現実には様々なコンディションや、或いは奏者等でも違いが生まれてくる。
要するに、実際の音色については、倍音以外の要素も多分に関わっている。

2009/11/03

自衛隊海外派遣状況

ちょっと前のエントリーで自衛隊の海外協力に触れたんですが、

今、この瞬間、海外のどこで、自衛隊が活動しているか、全部言えるでしょうか。




以下のとおりです。

・海賊対策派遣 (ソマリア沖)
・インド洋給油支援活動
・ゴランPKO活動
・ネパールPKO活動
・スーダンPKO活動

海賊対策派遣とインド洋給油支援活動は政治レベルの話題になっているので、耳にすることも多いですが、PKO活動は実は知らない人も相当多いのでは、と思いまして。
もちろん、規模等も全然違うのだけれど。
ある程度、社会に参与する意思を持つ日本人ならば、
自衛隊の海外派遣に賛成にせよ反対にせよ、あるいは問題自体にあまり関心がないにせよ、
或いは、どんな部隊が、とか、どんな根拠法で、とかテクニカルな部分は全然分からないにせよ、
自国が自衛隊を海外に派遣している事実は知っていたほうがいいかと。

詳細は日米国防組織情報のこちらのページで。
取り急ぎ。

レビストロース氏 死去

社会人類学者のクロード・レビストロース氏が死去
また一人社会学の巨人が他界されました。

というか、正直、まだご存命だと知らなかったのですが。
100歳とのことです。

『悲しき熱帯』は大学時代に途中でギブアップしたままなんだよな。
わざわざ日本から持ってきてはいた気がするのだけど。
これを機に再チャレンジしようかなぁ。

ご冥福をお祈りいたします。

2009/10/26

日本人のハビトゥスと国際協力

仕事の文化を伝える
直線・直角  ブログ『コートジボワール日誌』より 
(一部抜粋させていただきましたが、是非上記2エントリー全文読んでみてください。)
 ルワンダ難民救援隊は、自らの駐屯地の整備のために、パワーショベルなどの建機を何台か保有していた。それで、よく国際機関や地元から、土木工事をやってほしいと頼まれる。ある日、難民キャンプの一部に、排水溝を掘ることになった。
 工事を行うのが自衛隊の精鋭たちであるから、排水溝は、もちろん直線・直角で完成した。ゴマの人々は、「水がちゃんと流れる」と感心している。排水溝が水を流さないでどうするか、と思うのは日本人だからである。人道危機の現場などでは、円滑に水が捌けるかどうかに頓着せず、ただ溝を掘って事足れりとする場合が多い。しかし、自衛隊はこんな僻地の混乱の中でも、きちんと測量をし、図面を描いて工事にとりかかったのである。そしてゴマの人々が感心したのは、出来栄えだけではなかった。
 「自衛隊員は、約束の時間にちゃんと来る。日程通りに作業を進める。そして期日にちゃんと作業を終えた。」
 人々はそういって感心した。そして何より驚いたのが、難民たちへの接し方であった。溝を掘るためには、溝の経路にあたる場所にテントを張って住んでいる難民たちに、退いてもらわなければならない。自衛隊員たちは、難民たち一人一人を訪ねて、まことに申し訳ないが、と事情を説明して退去をお願いした。別の土地を整地して、移転先を提供した。
 どれもこれも、日本人の私たちには当然のことである。日本国内そこかしこの工事現場で、ご迷惑をおかけします、と頭を下げている国民なのだ。しかし、この難民キャンプでは当たり前ではない。欧米系のNGOだと、溝を掘るといえば、いきなりブルドーザーを持ってきて工事を始める。溝の経路にあたった不運な難民は、荷物をまとめて逃げる。そういう出来事が、日常であった。だから皆、驚いた。
 私たちが意識しようがしまいが、誇ろうが誇るまいが、世界中の人々が、日本人の仕事のやり方、世間への接し方に、強烈な印象を受ける。そしてそれが次第に、日本への好意、さらには尊敬に変わっていく。

 ブログ『コートジボワール日誌』の筆者は在コートジボワール大使岡村善文氏とのこと。
日本人の現役大使がその活動や思うところを日々ブログでつづる、ということ自体、新しい時代の流れを感じる。
確か、雑誌か何かで読んだのだが、かつて大使は「あがり」のポストであったのだが、これからの時代、大使経験者にも外務省に戻って活躍してもらおうという人事改革の一環で、大使としては「若手」で起用された方らしい。

 今回、取り上げさせていただいた記事は、海外で活動する自衛隊が、時間を守る、礼儀を正すといった日本人として当たり前だと思っているような価値観、その「活動振り」が現地の人々に影響と感銘を与えた、という話。

 蛇足になるが、麻生元首相の著書、『とてつもない日本 (新潮新書)』の中でも似たようなエピソードが紹介されていた。
若干、記憶が曖昧だが、確かインドかどこかを、麻生さんが外務大臣だった折に訪問したところ、その国の地下鉄建設に関わった日本の民間企業が、定刻通りに仕事を始め、納期を守り、礼をもって人と接する姿に、「仕事のやり方」を教わった、と感謝された、という話だったと思う。

 類似のエピソードは様々なところで聞くし、海外で生活を送っていると、日本の常識が通じないことに、驚くことも多いので、逆に実感されるところである。
 こうした美徳は、知らず知らずのうちに体得されるものであるし、受け継がれていく文化であるが、意図的に大切にしていきたいとも思う。
「昨今、こうした日本人の美徳が失われつつある」というような主張は、古代エジプトの碑文にすら書かれていたという普遍の真理「最近の若者はなってない」、と同じくらい怪しいとは思うのだが、良し悪しは置くとして、世代ごとの風潮は確実に違うし、社会の雰囲気は世相によって変化するのは確実で、ここ20年不景気が基調として続き、閉塞感が渦巻く中では、危惧しなくもなくもない。
 日本社会において自然と培われてきたものであるにしても、海外との比較のなかで、自覚し、それが美点と認識されるのであれば、それらを育むよう意識的に取り組んでいくことも大事ではないだろうか。

 もう一点、自衛隊の海外協力の在り方についても示唆に富む話である。自衛隊には武器の制限がついて回る。
 武器が使えない中で、どのような形で国際貢献が可能か。
 本記事では、自衛隊の「規律」が成功をもたらした事例として良いことであるが、これが全ての場合に適用できるわけではないだろう。
 自衛隊を海外に出すのであれば、ある程度の覚悟をせねばならないし、あるいは、危険地には出しませんが、とした上で、上述のような日本の良さを生かせるような国際貢献を前面に出していくのか。
 単に「燃料補給もうしません」と言っているだけでは、どうしょうもないでしょう。(ちなみに、燃料補給に対する諸国の評価は、少なくとも日本で報道されているよりは、よっぽど高い、ようです。個人的には基本的に賛成です、危険の程度と得られる評価等を勘案すれば。)
 確たる信念と明確な国益を踏まえた国際貢献の理念、国内の合意をもとに送り出されるならまだしも、政治に振り回されるだけでは、派遣される方々も、たまったものではないでしょう。

2009/10/25

小室哲哉『罪と音楽』



詐欺事件での逮捕を契機に、小室哲哉がデビューからこれまでを振り返りつつ、その心情を纏めたエッセイ。
裁判の過程を追いつつ自らの胸のうちを吐露する流れをベースに、自らの音楽論を織り交ぜて語っている。

一見、出版の時期的にも、事件に関しての自己弁護、あるいは自己批判の類の本かと思われそうだが、
事件自体について委細に語るものではなく、寧ろ、自らの主観を客観的に描く自省の書といった面持ち。
通底しているのは、音楽に対する真摯な思いであり、本書を通じて、自らそれを再確認しているようだ。
階段を上り詰めた天才が坂道を転げ落ちる、その過程の内面を読む、という意味で非常に興味深い。

或いは、音楽に関心がある人には、ユニークな音楽論の本としても楽しめるだろう。
70年代から00年代までの音楽の変遷、その過程での文化や風潮の変化、技術の進歩。
70年代以降の世代では、ゲーム等を通じてクリック、一定のリズムを感じる意識が自然と染み付いているとの指摘や、時と共に曲や詩に込められる意味の増加・加速化、或いは、過度の幼稚化傾向、また倍音の含み具合で決まるボーカリストの資質としての声質の話など、非常におもしろかった。
ミスチル、B'z、宇多田ヒカル、コブクロ等など、様々なアーティストの評、またはそうしたアーティストとの音楽性の関係にも触れている。

小室さんは本書の中で自らを「音楽家」あるいは「"大衆"音楽家」と自己定義する。
作曲するとき「曲は空から降ってくるもの」という一方で、その精緻なマーケットの分析、時代の潮流を読むセンスは驚くべきもので、「売れる」音楽を創り出す天才でもあった。
音楽が全てである喜びと同時に、ヒットを次々と世に送り出してきたまさに絶頂の時代に、強迫観念に似た何かに苦悩する様子も描かれる。
やはりそのアンバランスの中に今回の事件の下地があったのではないだろうか。
よくある「芸術と金」の陥穽にはまってしまっただけ、とか、「芸術家は自己管理ができないから」などと言ってしまうのは簡単だけれど、一人の芸術家が葛藤した軌跡の手記はリアル。

最後の今後の展望に(若干実現困難そうな構想を明らかにしていて、大丈夫か、とも思うのだが、)希望を抱かされる。
新しい小室さんの音楽が聴ける日が楽しみだ。

2009/10/23

低所得世帯私立高授業料無償化?

授業料、私立高も無償化 文科省要請へ、低所得世帯対象に NIKKEI NET
文部科学省は23日、私立高校の授業料について年収350万円以下の低所得世帯が都道府県の判断で無償化できるよう総務省に求める方針を固めた。来年度から公立高校の授業料が実質無償化されることに伴うもので、同日中に総務省に提出する「地方財政措置要望」に盛り込む。
 これまで公立高校の授業料減免などに全国の自治体が負担してきた経費は年約300億円あり、国が相当額を交付金として手当てしていた。公立高校を無償化すればこの経費が不要となるため、私立高への授業料減免に転用することができると判断したという。
 文科省は来年度から公立高の世帯を対象に授業料相当額(約12万円)を間接支給する。私立高生の世帯にも同等額を支給し、年収500万円未満の場合は約24万円に増額する計画。私立の授業料平均が約35万円と高額でさらなる支援を求める声が出ていた。 (16:00)


意味がわからん。
そんな余剰金があるなら、公立高校の施設と教育の質の向上に使えよ。
公立の質を高めて、私立より公立、と思われるくらいにするのが先なんじゃないの?
これ、どっからどういう圧力がかかってんのかなぁ。
私立側からしても、国から、間接的とはいえ、支援受けることになって、特色が失われないかとか、国の影響が大きくならないか、とか不安だと思うのだけれど。
少子化でそんなことも言ってられない?そんな理念がないなら私立なんてやめてしまえばいいのに。
いいんだよ、独立不羈のための結果として私立が金持ち学校になるのはさ。
金がないなら公立行けよ。

因みに私は小学校から大学まで全て公立なのだけれど。

何やら、国民生活のいろんな側面で国家からの干渉がますます強まる傾向にある気がしています。
国家の発展段階を考えるとき、成熟期に(衰退期にはいりつつ?)ある日本でのこの風潮はあまり好ましいと思えないのですが。

2009/10/22

概算要求 約94兆円

ねぇねぇ、民主党ってさ、無駄をばっさばっさ省いて、予算を捻出してくれるのではなかったっけ?

国の借金が約800-900兆円、国地方併せて1000-1100兆円。
参考;財政赤字カウンター
日本人の個人資産が1400-1500兆円ぐらいで、
売却可能な国有資産が300-400兆円ぐらいでしたっけ。
特別会計に埋もれる「埋蔵金」とか、隠れ借金とか、個人資産が何の目安になるのかとか、細かいことはありますが、
ざっーーくり考えて、まだ暫くは大丈夫?てことは、暫くしたら、もうまずそう。

年金とか保険とか経由して、債権にお金が回ってるから、取り敢えずまだ低い国債の金利が上がったら、たまんないっすね。

日本の国債は国内で買われてるから、国家破綻は起きない!という主張がありますが、まぁ、それはそうなんでしょう。
破綻=デフォルトする前に、ハイパーインフレが起きて、借金目減りしますから、円建てで債権が出されている限り。
債権の保有者が大損するだけですね、
その債権の保有者は年金とか保険とかで、そこにお金を出しているのは・・・。

さて、やっぱ、ユーロにしとくべきかなぁ。
ドルは中長期的には絶対下がる、気がするし、ルーブルに期待したいのだが、ちょっと、リスク(分散)が大きすぎる気もする。
株は株でリスクが大きいですが、インフレに対しては債権よりも強いかな。

・・・って、悩むほど資産があったらなぁ。

2009/10/20

宅配便

宅急便はあくまで、ヤマト運輸の商品名なので、サービスの一般名称としては、宅配便です。

さて、アメリカと日本のアマゾンで買い物をしたんですが、
1)日本のアマゾン(Amazon.co.jp)の配達履歴
2009/10/14 --- IOWA CITY IA US 配達完了
2009/10/14 --- CEDAR RAPIDS IA US お届けできなかったため、持ち帰りました
2009/10/14 --- CEDAR RAPIDS IA US 配達中です
2009/10/14 --- CEDAR RAPIDS IA US お近くの配達店まで輸送中です
2009/10/14 --- MEMPHIS TN US お近くの配達店まで輸送中です
2009/10/14 --- MEMPHIS TN US 通関手続きが終了しました
2009/10/13 --- TOKYO-KOTO-KU JP お近くの配達店まで輸送中です
2009/10/13 --- TOKYO-KOTO-KU JP 配送センターから出荷しました
2009/10/13 --- --- 配送センターから出荷しました
※品物は書籍。一度は持ち帰ったとありますが、結局家のドアの前に放置されてました。
(受取サインしてないんですけど、国際配達でも書籍だけだと必要ないのかな。)

2)アメリカのアマゾン(Amazon.com)の配達履歴
October 14, 2009 03:14:00 PM IOWA CITY IA Delivery attempted
October 14, 2009 03:14:00 PM --- Available for pickup
October 14, 2009 03:09:00 AM IOWA CITY IA Arrival Scan
October 12, 2009 01:13:00 PM --- Arrival Scan
October 9, 2009 12:15:00 AM --- Arrival Scan
October 6, 2009 07:48:00 PM --- Arrival Scan
October 6, 2009 08:13:44 AM Whitestown IN US Shipment has left seller facility and is in transit
※品物はDVD、結局、郵便局まで取りに行きました。
(これも受取サイン求められなかったんですけど。家の前に放置しなかったのはDVDだから?値段の総額はあまり変わらなかったのだけれど。)

日本のアマゾン、まじすげぇ、日本からなのに、発送日の翌日には配達されてる、いくら14時間の時差を考慮しても。
アメリカのアマゾン、まじすげぇ、国内なのに、1週間以上かけて配達している
あ、いや、もちろん宅配業者の問題なので、アマゾンの問題ではありません。


更に、経験した範囲で、勝手に印象半分に宅配便の比較すると、
・東京;不在だと何度でも配達してくれる、配達時間指定可。
・アイオワ;不在だと3回まで配達してくれる、が、配達日は勝手に向こうが指定している。こちらが配達日などを指定する場合、追加で5ドル、かつそれでも細かな時間指定不可。
・モスクワ;先に運転手から電話がかかってきて、直接時間を決め合える、が決めても遅刻も多い。

もちろん業者の差のほうが大きい、例えば、モスクワの場合、上記のはDHLか何かのサービスで、郵便局だと届かないとか普通なレベルですから、これを一般化はできませんが、なんとなく、これ、3国のメンタリティが良く出てると思う。

アメリカ、って、サービスの質は良いのだけれど、妙に杓子定規なところがあって不便がある気がする。
ロシアって、基本、全てがいい加減なのだけれど、時折逆にそれが、便利なときもあったりするわけで。
結論としては、日本最高、ということで。

2009/10/18

Darker than Black 2nd 第2話につっこみ。

Darker than Black 2ndシーズンの第2話のEDのクレジットのロシア語に一応、突っ込みいれときます。


"Близнецы и иадающая звеза"
そのままпадающая звездаと書くのは忍びなかったんですね、
決してиとпがちょっと似てたとか、д見落としたとかではないですよね、わかります。
更に「流星の双子」は直訳するとБлизнецы падающей звездыですが、奇を衒ってわざわざ「流星と双子」にしたんですね、よくわかります。

"Темнее чёрного"
問題ないんですけど、ただ、blackが名詞でも使えるのに対して、черныйは名詞では使いにくい(名詞で使うと喪服とか特定の物のイメージがある)気がするので、個人的にはчёрного цветаとしたくなります。ちょっとこの辺の感覚はまだ未熟で良く分かりません。ロシア語分かる方、どうですか?
しかし、ロシア語の監修いないんですかね、こんな初歩的なミスをするなんて!
いないならわざわざロシア語のタイトルなんか使わなきゃ良いのに。
DVD/BDではちゃんと直るんでしょうか、買わないけど。
まぁ、外国の映画やドラマで日本的なものを登場させて、日本語間違ってる、なんて、姿は良くありますが、逆もまた然りということですね。
こういう細かいところ、気をつけたほうが良いと思うんですけど。
"перегрузка"と"перезагрузка"とかね。

2009/10/15

民主党。

出典は2chでしょうか、よくわかりません。
孫々引きになりますが、奇知に富んでいたので、メモ。
このサイトから。

99 :名無しさん@十周年:2009/10/15(木) 10:28:18 ID:TvMvbSWl0
<選挙直後>↓に向かって読んでください

民主党:待ちに待った日がやってまいりました!
有権者:在日に選挙権をあげたりする?
民主党:そんなことはありません!
有権者:財源はちゃんと確保されてるんだよね?
民主党:当然です!
有権者:投票した人たちを裏切ったりする?
民主党:いいえ、決してそんなことはいたしません。
有権者:景気をよくして雇用も所得も増やすんでしょ?
民主党:もちろんです。どんどん増やしますよ!
有権者:赤字国債は発行するの?
民主党:永遠にありえません!
有権者:日本人が住みやすい国にしてね

<選挙45日後>↑に向かって読んでください


こういうの思いつく人、本当に尊敬する。
頭の構造どうなってるんだろ。

民主党さん、大丈夫でしょうか。
まぁ、改革に向けて試行錯誤するのは良いことでしょう。
現状の変革は、必ずどこかの(既得権益者の)反発を生みます。
つまり、総和でのプラスを増やすために、どこかのセクションは現状よりマイナスにならなければならないわけです。
というわけで、千葉県民には申し訳ありませんが、羽田のハブ空港化には賛成です。

2009/10/10

2020広島オリンピックに期待。

V作戦 覚悟を問う(8)-オリンピック招致-
・・・では、「環境」以外に日本がオリンピック招致においてアピールすべき「理念」とは何だろう。それはやはり「平和」ということではないだろうか。オバマ大統領の「核なき世界」構想もあり、いま非核化の論議はかつてない高まりを見せつつある。一方で核拡散には歯止めが利かず、なし崩し的に核兵器が拡散しつつある。日本は唯一の被爆国だ。世界に向けて平和をアピールするのは日本しかない、くらいの気概を持つべきだと思う。

2020年オリンピック。日本からは広島が立候補してはどうだろうか。広島は1994年にアジア大会も成功させており、立候補の資格は十分だろう。ただ、今のオリンピックは莫大な金がかかるため、広島単独での開催は難しいかもしれない。そこで長崎、沖縄でも分散開催する。オリンピック開催は「都市」であるということだが、それなら2020年だけ特別にルールを変えればいい。水泳は沖縄、陸上は広島、球技は長崎。男子マラソンは広島、女子マラソンは長崎。マラソンコースに広島の平和記念公園や長崎の平和公園を組み込み、世界中の人に被爆都市のいまをテレビでつぶさに見てもらい、平和について考えてもらう。これ以上の「平和の祭典」はないかもしれない。

(中略)

広島や長崎、沖縄での開催は「平和」という理念を色濃く反映できる一方、その理念にある種、重苦しいものも感じる人もいるだろう。米国はじめ反対する国が出てくるかもしれない。日本人の中にも眉をひそめる人もいるだろう。しかし、成熟国家となった日本がオリンピック開催を通して世界に向けてアピールすべきものは、ある意味、こうした重いものである「べき」かもしれない。


2016東京五輪、開催ならず、ということで、まぁ、評価は色々あるかと思いますが、落選、残念でした。
で、6日付の上記の記事を読んで、確かに、と思いました。
いずれにせよ、オリンピックに政治の影は付きまとうわけですが、こうした「理念」が打ち出せるかどうか、はいずれにしても大事ですよね。
「南米初」に「環境」じゃ、ね。
まさに「平和の祭典」に「平和」をテーマにしたオリンピック、って素晴らしいアイディア、
一昔前のアメリカなら絶対許さなかっただろうけど、オバマ大統領のもとなら、或いは。
とは言え、反発は色々あるでしょうから、難しいだろう、と思っていたところ、

NIKKEI NET 20年五輪に広島名乗り 長崎と連携、招致へ
広島市が同じ被爆都市の長崎市と連携し、2020年夏季五輪の招致に向け検討を始めたことが分かった。11日、両市長が広島市内で発表する。近く招致の検討委員会を設置し、日本オリンピック委員会(JOC)と協議を始める。核兵器の廃絶を訴える広島市が五輪の開催都市に正式に名乗りを上げれば、世界的にも注目を集めそうだ。


世界へのアピールという意味で、立候補するだけでも意義があるし、実現して欲しいですね。

『東京マグニチュード8.0』


私、少々(?)アニメを嗜むのだけれど、
最近のアニメのなかで2番目に素晴らしかった作品。
『東京マグニチュード8.0』(公式サイト)

夏休み、お台場に来ていた中学生と小学生の姉弟が、大地震に遭遇。
お台場から世田谷まで、崩壊した東京の中を徒歩で帰宅する数日間を描いた作品。

人物の絵が微妙かなという印象で、当初は期待してなかったんですが。
緻密なシュミレーションに基づいた、地震後の東京の描写はリアリティに溢れ衝撃的。知ってる場所柄なだけに、もし本当に地震が起きて、こんなになったら・・・と想像させられてしまった。
東京で働いてた時に、何度か歩いて職場から帰宅したことがあるんですが(意味不明ですね、よく言われます)、本主人公の歩いた距離の2/3くらい、3時間くらいかかったかな。あの街並みが、ここに描かれているように崩壊すると思うと・・・。
それから、自分の立場でこういう状況に巻き込まれたら、どうするか、シュミレートしておく良い機会になるかもしれません。

それと、行政の対応の様子、避難所の様子、救助活動、ボランティアの活動、復興への動き、そんなところも、恐らくシュミレーションの上での現実に即したであろう描写、が垣間見れる。
大地震に多くの人が犠牲になっているわけだけれども、それでも生きていく人々や、平時では言葉を交わすことがなかったであろう人々の関わり合いもテーマの一つでしょう。

単に作画とリアリティを追求しているのみならず、中盤冗長な感じもなくもなかったが、作品としての全体のストーリーも練られていて、物語としての質も高いです。
結末の意外な展開に、最終話には不覚にも号泣しました。


なお、物語中のニュース・キャスターは滝川クリステルご本人です。

2009/10/06

くだらぬテレビつけっ放しで 明け方近くに思いついたのは

メールマガジン;国際派日本人養成講座よりNHKに巣くう報道テロリスト

元の番組。
NHK Special 「JAPANデビュー アジアの一等国」

wikiより。


これって、1万人の集団訴訟にまでなってるらしいですね。
日本では話題になってるんでしょうか。
と書いていたらタイムリーに産経に記事発見。
「偏向報道」抗議者に「不問」求める 訪台のNHK番組関係者

しかし、NHK、いい番組もいっぱい作っているのに、大変残念。
なんで、中国が絡むとNHKのみならずですが、一部マスコミは過度に偏向するんでしょうかね。

きっと負の側面だけ集めるとこういう報道になるんだろうなぁ。
そもそも、他国を占領したわけなので、それがどんなに好意的な統治であれ必ず摩擦は起こるわけです。
例えば、国どころか、二つの市町村が合併しただけでも、起こる場所では諍いが起こるでしょう。
まして言葉や文化、宗教が違えば言わずもがな。
占領行為そのものの是非の問題もありますな。
他方で、台湾には帝国大学を設立したり、インフラの整備が急速に進んだりと、発展に寄与した政策もあるわけです。
実際のところ、どのような統治が行われたのか、同時代を背景とした他国と比べてどうだとか、正直よくわかりません。
全体像を捉えて、総体として評価する、なんてことが何処まで可能かどうかすら定かでないですが。
それは専門の歴史家の皆様に負うとして、
報道の仕方、という意味で、どちらの側面にもフォーカスをあてることは可能で、それ次第で全く違う報道になるでしょう。
或いは、意図と信念を持って偏向する、「ここはこういう側面から」と前置きして報道するなら、それでいいとも思います。
というか、個人的にはマスコミって、もともと偏向しているものでしょ、と思うわけで。
寧ろ、報道は公平であるべき、なんて感覚がナイーブ過ぎる。
事実を追い求めて、それを報道する中で、如何に公平を期そうとも、何を取材し、どんな切り口でとりあげて、どう組み立て、報道をするか、そこには常に選択があって、選択には価値観があるわけで、究極的にはジャーナリズムは公平を期しつつも自らの良心に従って、信ずべき報道をするしかないわけで、その結果として偏向することはありうべきでしょう。

この放送も、実際観ると、全体として、どっかのプロパガンダな報道よりは、まだしも、かとも、
あちこちで文章で批判されている記事ほどには酷くはない、ように感じましたが、
問題は明らかに一線を越えている部分があることでしょう。
「日台戦争」って一体・・・。
日台戦争
それと取材対象への信義の問題は大きいでしょうね。
ていうか、NHKがこれやっちゃだめでしょ、受信料集めてるんだし。
ジャーナリズムが超えてはいけない一線、捏造しちゃ駄目でしょ、そりゃ報道以前の問題です。

それと蛇足ながら、この番組がどこからどんな力を受けているのか、いないのか、知りませんが、
日本も外国でのマスコミ「工作」に力を入れるべきじゃないでしょうか。
日本の潔癖主義も個人的には好感ですが。
海外のメディア戦略にお金つぎ込んでいいんじゃないですか。
「カワイイ大使」とかいってないで。

2009/10/01

河野議員のブログから

自民党はなかなか変わりませんな。
細かくはフォローしてないのだが、総裁選で小気味よい発言を連発していた河野議員のブログから
「みんな」とやろうぜ!?
みんなの党の国対委員長からメモ。
「谷垣さんはみんなでやろうぜとおっしゃっていますが、河野さんは『みんな』とやろうぜ、でどうでしょうか」。
あのね...。

うまいこというね、個人的には是非、そうなって欲しいです。
みんなと自民の若手中心に政界再編とか。

自民党には再起を期待したいところですが、今回、河野さんが選ばれなかったようではもう駄目でしょう、旧態依然とした体質から抜け出せず、次の参院選も期待できません。
民主党が自滅して支持を失い、アンチ民主のオルタナティブで票を集めることはあるかもしれませんが。
今回の衆院選もそうですけど、現政権への批判として票が集まるのは、その党への支持とは違います。
その意味で郵政解散の小泉首相時の大勝と今回の民主の大勝は別物。
逆に言うと、大風呂敷を広げに広げたマニュフェストに拘る必要は実はあまりなくて、個別の政策で批判のほうが多いなんてものは、どんどん取り下げたほうがよいかと。
まぁ、どの道、民主党政権が4年間続くのだから、参院選にも勝って、とっとと連立解消したほうが安定感はますかもしれません。

いずれにせよ、否定的な理由でなく積極的理由で投票できるような政党がでてきて欲しいものです。

2009/09/27

『「部下のため上司は早く帰れ」』

「部下のため上司は早く帰れ」総務政務官、実感込め訓示

こういう政治主導は実に素晴らしい。
これは、これまでの深夜の国会の質問通告や公開情報レベルの質問趣意書等、残業の原因になっていた民主党の態度もかえるという決意表明ですね、わかります。
このあたりの“政と官の関係”が整理されれば、残業代やタクシー等の人件費等の「無駄」が排除できると思うのだだけれど。


「残業する人ほど仕事が出来ない。」
という命題は大抵の場合、真だと思う。
仕事が出来る人のところに仕事が集まってしまうということはあるのだけれど。

2009/09/21

アイオワ 雑感。

気づけばアメリカに着いてから早1ヶ月以上が経過。
気づいたことを徒然なるままに。

・家の周りをリスが走り回ってる。。。

・自転車を購入したのだけれど、泥除け、スタンド、ライト、ベルが初期基準で装備されてない。
街のそこそこに駐輪用のスタンドが設置されていて、素晴らしいと思っていたのだけど、そもそも自転車の側にスタンドがないわけだ。

・ロシアとアメリカの違い、例えば、エレベーターで、ドアでのすれ違いで、道を歩いていて、見ず知らずの人とたまたま目があったとき、アメリカ人は微笑む、ロシア人は訝しむ。
あれ、微笑むのは良い慣習ですね。
てか、お店の店員さんとか、すごくフレンドリーでいいですよね。ロシアでは、ロシア語がつたなくて話せないことが悪なのだが、アメリカでは、英語が分からないと、分かるように説明できない方が悪になる、気がする。

・食べ物が、量が多い、味が濃い。甘いものは甘すぎるし、塩辛いものは塩辛すぎるし、油っぽいものというか、大体油っぽい。肉類が安い。なんだかんだで外食が多いのだけれど、この食生活していたら太るかな。
他方で、ベジタリアン用の食べ物も結構あって、バラエティ豊か。
物価はものによるところが大きいのだけれど比較的安い印象。電化製品や家具は確実に安いけれど。郊外型の大型マーケットに中々行けないのだが、そっちは相当安いのだろうか。
経済危機前の1ルーブル5円換算していた頃から比べれば格安だけど、危機後の1ルーブル3円比較していた頃からはそうでもないかと。

・ジョギングしてる人が多い。
モスクワに初めて着いたときに、日本と違ってジョギングが少ないことに違和感を覚えたものだが、そこからアメリカに着いた時にはジョギングしている人が多いことに違和感。
モスクワで少ないのは冬が長いせいか、空気が汚いせいか。まだ途上国、ってことでしょうか。
健康に気をつける風潮とジャンキーな食べ物がいっぱいだったりと、ギャップ。

2009/09/18

確か彼は最高裁に上告中、仮に実刑が確定すれば失職するんですよね。

Oops!

鈴木宗男氏が衆院外務委員長 文科委員長に田中真紀子氏

人事や諸々の発言見てて思うのだけれど、
新政権、どんどん自分で自分の首を絞めてないだろうか。

広げた大風呂敷をどう収めるのかしら。
いくら望ましくても不可能なことはある、と分かっていても、
公言して達成できないと、支持率は落ちのでは。

・・・絶対無理だろ、2025年までに1990年比でCO2排出量を25%削減とか。

2009/09/08

4個目のiPod

iPodを買いました。
通算4個目、モスクワの地下鉄で3回盗まれましたので。

一回目は深夜のメトロで半分寝ていたところをコートのポケットから。
二回目は白昼、満員電車(と言っても日本ほどではないのだが)の中で、スーツのポケットから。
三回目は、腰のポケットにフックで括り付けて音楽を聴いていたのだけれど、多少混んだ車両に乗りこんだ瞬間に引き抜かれ、振り返ると無常にドアが閉まって、最早音を流せないイヤホンだけが耳から下がっていた、と。

まぁ、iPodに個人情報は入れてなかったし、音楽などのデータは全てPCにバックアップがあるので、不幸中の幸いと言えばそうなのだけど、しかし、何故に3回も、狙ったかのようにメトロでi-pod。
当然、財布や携帯は鞄か内ポケットで、外からは見えないところに入れるのだけど、iPodはそれじゃ、聴き難いよね。
(なお、鞄の中に入れていていても、鞄をナイフで切られて盗まれる例もあるそうなので。あと、背負ったバックのチャックを開けられて手を入れられかけたことがあります、気づいて振りほどいたけど。ご注意を。)

アメリカだとiPod、安かった。さすが。

自民党のCM

いよいよ政権交代ですね。
民主党にとっては、これからが正念場なのだけれど。

ところで、日本は判官贔屓、アメリカは勝ち馬効果とは、両国の政治風土を表してよく言ったものだけれど、
こんなCM流すようじゃ、判官、つまり運命に翻弄されて非業の死を遂げた義経のように人々の同情票が集まりようがないわな。
ネガティブキャンペーンてどうなんでしょう、相手を批判するにしても、これじゃ・・・と思うのは私だけでしょうか。





選挙終わってから観ましたが、大爆笑しました。
日本じゃ、これ本当にテレビで流れたんですか?

2009/02/03

メドベージェフ大統領 ビデオブログ 2月2日

2009年2月2日付、メドベージェフ大統領のビデオブログ。
クレムリンの公式HPから。


ロシア語テキストはこちら
※映像途中にロシアの大学の風景、大統領の視察風景あり。

(仮訳)
2009年2月2日 モスクワ
高等教育及び学生支援について
D.メドベージェフ:

敬愛する皆様、まず始めに、私のビデオメッセージのサイトにコメントを残してくれていることに感謝したい。これらのコメントは、現況、皆さんを、我々の誰もを不安にさせている、まさに焦眉のテーマについてのものである。これらのコメントを読んでいる、これらは実に様々だ。そして、単に読むだけではなく、これらに答えようと計画しているところである。同時に、行政機関にも注意深くこれらコメントを分析し、必要な場合には相応しい課題を立案準備するよう、委任した。直近のビデオメッセージの中では、最も重要なテーマの中からいくつか触れてみるつもりである。そして、それに加えて、勿論、一連の質問については、特に文書の答えを準備し、示していく。

さて、今日、いくらか時間をとりたいテーマである。高等教育機関に関連する金銭面での課題、それは無論、学生達の問題について、いくつかお話したいと思う。

現在、為替政策の変更や一連の他の諸問題のために、全ての学生が、自分の授業料を支払うだけのお金を工面できる、または簡単に工面できるというには、程遠い状況にある。これはいつの時も学生にとって簡単な問題ではなかったものの、国家が金融の困難に陥っているときには、とりわけ深刻である。この関連で、いくつか提案があるので、今日お話したい。

第一の提案は、より積極的に教育ローンを展開することである。現時点で既に、良く学んでいる学生、順当な学識を示している学生が教育ローンを受けられるための、基準となる文章は準備された。このローンは教育期間に与えられ、高等教育機関を卒業後、最小の利率で返済することになる。このローンが提示される当然の条件としては、勿論、順当な学業成績である。

私が提案するもう一つのアイデア、それは教育に対する高等教育機関、大学への支払いを、私達の通貨の相場の変動あわせることなく、固定させることである。ルーブルに固定し、教育サービスが提供される全期間に対して相応しい数値を用いることである。これはとても公正なことに思われる。この機会に、高等教育機関が受け取るお金は、恐らく、幾らか少なくなるであろう、と同時に、そうなれば、学生達にとって、為替レートを追いかける必要もなく、常に数値の変動に左右されて新たにお金を探す必要もなくなり、より快適な状況となるだろう。そして、これは学生達がより信頼を置き、教育期間により安定を感じることを可能にするだろう。

もう一つのテーマは、今我々が見直しと管理の段階に来ている、高等教育機関の過剰に関するものである。我々の考えでは、今日それらの全てが要求水準を完全に満たしているとは到底言えず、周期的にライセンスや公式認可の証明についての問題が提起されるほどである。思うに、もちろん、我々は教育の質のために行わねばならないが、と同時に、現時点でそれぞれの教育機関が困難な状況から抜け出し、順当な教育レベルを示すようにするべきである。そして、この機会には、我々は高等教育機関に対し、その管理の過程で立ち表れた問題を克服する可能性を提供するだろう。

最後に、もう一つお伝えしたい提案がある。今日、高等教育機関の中には、人々、学生達が有償で学ぶ場と、同時に、無料の場がある。思うに、特に現在の条件下では授業料の支払い能力のない人に対する奨励金という方法で、これら有償の場所を政府の保証による無料の場へと移行させる可能性を考慮に入れることは、正しいことだろう。実際、はっきりした稼ぎを失ってしまいうる故に、彼らが好き好んでこうしたことをすることはない。しかし、思うに、この状況下で、最大限度にこの可能性を用い、良い成績を残している優秀な学生に、無料の予算のある場へと移る可能性を提供することが、不可欠なのだ。

これらが私の提案である。早期に私は然るべき任務を政府と教育科学省に与えよう。これが学生達が今日直面している困難を克服する助けとなることを期待している。


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取り急ぎ。

2009/01/31

メドベージェフ大統領 ビデオブログ 1月12日

2009年1月12日付、メドベージェフ大統領のビデオブログ。
クレムリンの公式HPから


ロシア語テキストはこちら
映像途中に大統領がスキーで滑走する映像あり

(仮訳)
2009年1月12日  2009年1月9日ソチ(クラースナヤ・パリャーナ)にて収録
タイトル:私達の国の休暇の文化と大衆スポーツの発展
メドベージェフ:

敬愛する皆様!
もう一度、皆さんにお祝いを申し上げたい、明けましておめでとう!
皆さん休暇を楽しんだことだと思う。今年の新年の休暇はとても長いものだった。

さて、とても重要だと思われるあるテーマについてお話したい。それは、私達の国の運動体育とスポーツの発展に関わるテーマである。

実際のところ、最近では、何百万の国民の休暇の為の一般的な環境を整えるために、運動とスポーツの発展に向けた非常に多くの様々なものが作り出された。けれど最大限率直に言えば、これまでに成されただけでは、全く持って不十分だ。そして恐らく、この新年の休日が、こうした休暇の一般的な過ごし方を何百万の国民に広めるために、体育や私達の国の大衆スポーツを如何に発展させるべきか、といったテーマについてちょっとした議論を始める良い契機となるだろう。

ご存知の通り、ロシアでは2014年に冬季五輪が開催される。今、言ってみれば、あらゆるプログラムについて、それに向けた準備が進められている。新たな施設が建設され、新たな競技場、スポーツ関連設備が整備されている。また、私達たちはこうした準備を、世界金融危機のために非常に深刻化した直近の世界そしてロシアの金融情勢にも関わらず、続けている。これは削減を許されるようなテーマではないと思う。何故なら、結局は、人々の気分や国民の健康と呼ばれているものは、これらに依ることになるからだ。

それから、この関連で、私達誰もが休息の仕方を身につけねばならないと考えている。知っての通り、率直に言って、ソ連時代にはこういった類の休息やこうした文化は、単純になかった。仮に外国の何処かに出かけて行ったとして、私達の誰もが、私達の隣人達が如何に休暇を楽しめているか、驚きを持って見つめたことだろう。まさにこうした休暇の文化、こうしたスポーツの文化をこそ、私達の国にも創り出すべく取り組まねばならない。それはつまり、運動をし、家族と一緒に休養し、そこから大きな充実感を得ながら、このような大型新年休暇や夏季休暇を、一般的な人間的な条件下で過ごすためなのだ。

休暇についての問題は、須く個人的な問題であるし、私達の誰もがどう休養するか自分で決めている。私は、今年は、ソチのクラースナヤ・パリャーナでスキーをして過ごした。今日、私達にももう、そうした意味で、休暇の為の十分価値ある相応しい環境、まさに多くの欧州諸国にあるような環境が整っていると思う。

私は素直に皆さんにこう言える、こういう風に休養するのは、大きな喜びであり、大きな満足である、と。私は大変気に入った。

あと少し、私のビデオブログをどう活かすか、話したいと思う。ご存知の通り、この定期的ビデオ・メッセージは9月7日に公開を始めた。そして、最近、敬愛する皆さんからの要望を叶える準備が出来てきた、と思う。まず始めとして、コメント欄に設置についての提案があったので、今、まさにそうした機会ができたことをお伝えしたい。このビデオブログに自分のコメントを残して、皆さんが望んだことを全て述べ得るだろう、と期待している。私はそれらを読むのが楽しみである。


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・・・ぶっちゃけ、『みんな、休暇はスポーツしようね!』ってだけです、かね。


訳がどうもこなれない。
ロシア語をロシア語で勉強していると、文章の大意は日本語で理解・説明できても、個別の各文についてとなると細かいニュアンスをどう日本語に訳して良いかがつかめない。
文学作品とか原文と訳を対照させながら読めば良いのだろうけれど。

ビデオブログが更新されていたのに、気づかなかった。
コメント欄のみならず、サイトのデザインも一新されて、rssも付いたようで。

2009/01/30

-40℃の天気予報に慄いてみる。

2009年1月29日16:25付 Новая газета紙のサイトから

Через 10 дней в Москве возможны морозы почти до 40 градусов.

31 января температура упадет до минус 13 градусов. А переломный момент произойдет на следующей неделе в ночь с пятницы на субботу: воздух в мегаполисе остынет до минус 23, а днем, 7 февраля, термометры покажут 18 градусов мороза, сообщает «Эхо Москвы».

По долгосрочному прогнозу, понижение температуры не прекратится. Уже на следующий день, в ночь с субботы на воскресенье, 8 февраля, воздух остынет до минус 33, а днем в выходной столичным жителям придется смириться с 26-градусным морозом.

В ночь с воскресенья на понедельник, 9 февраля, метеорологи прогнозируют понижение температуры до минус 38 градусов.

Однако директор Гидрометцентра Роман Вильфанд скептически относится к этим прогнозам. «Температура почти минус 40 градусов в столичном регионе – за пределами реальности и здравого смысла. Сорокаградусные морозы возможны, но не в Москве и в умеренных широтах, а в Якутии и Красноярском крае», – сказал Вильфанд.


(仮訳:一部意訳)
あと10日程で、モスクワは-40℃の寒気に曝される可能性がある。
1月31日、気温は-13℃まで落ち込みそうだ。だが、「エコーモスクワ(注:たぶんラジオ局)」が伝えたところによると、翌週金曜から土曜にかけての深夜、さらに急転する、つまり、メガポリス(原文ママ)の大気は-23℃まで冷え込み、2月7日の日中も気温は-18℃を示すだろう。
長期予報によれば、気温の低下はそれにトドマラナイ。その翌日、土曜から2月8日の日曜にかけての深夜、気温は-33℃まで冷え込み、休日の日中も、首都の住民達は-26℃の寒さを甘受せねばなるまい。
日曜から2月9日月曜にかけての深夜について、気象学者たちは、-38℃までの冷え込みを予想している。
しかし、気象観測センター長のロマン・ビリファンドはこの予報に懐疑的な態度を示している。彼が言うには、「モスクワ周辺地域において気温が-40℃になるなんて、現実と常識の限界を超えている。-40℃の寒波はありうる、しかしそれはモスクワや中緯度の地域ではなく、ヤクーツクやクラスノヤルスク地方である。」とのことである。


・・・本当だったら耐えられません。
まぁ、まずそこまで寒波が訪れることはないでしょう。最後の気象センター所長さんの言の通り、常識を超えている。
というか、有り得ない予報を平然と引用して、最後に有識者の言葉で平然と否定する記事の構成が、なんかだね。

因みに、個人的には-5℃~-10℃くらいが一番好きですね、適度に空気が張り詰めて。それより暖かいと雪が解けるので道路がドロドロになって頗る気持ちが悪い。しかも一度融けて再び氷になった方が道が滑る。
あと、-10℃近いと雪が結晶の形のまま降ってくるから綺麗です、雪の結晶ってロシア来て初めてみたなぁ。



そういえば、サハリンでの麻生-メドヴェージェフ会談は2月18日開催でほぼ決定されたらしいですね。
サハリン2のガス価格の決定と延期を繰り返してたプーチン首相来日に向けた調整が議題になるとかなんとか。

2009/01/15

聖徳太子は架空の人物!?

先日のエントリーの中で、社会的構築主義を取り上げた。
この中でも若干触れたが、構築主義の立場から、「歴史」というものは、現在の我々が当時の時代的な価値基準や行動原理を持ちえない以上、残された物証や資料から当時を想像し、解釈したものでしかない、と言える。
よって、新たな物証等が見つかったり、新たな視点が導入されたりすれば、解釈が変わり、「歴史」が再構築される、ということが良く起こる。

言い換えると、「解釈」するにあたっての基準が、現代の思潮や視点による限定性を伴っている故に、「歴史」は(単なる過去という静的なものでなく)動的なものとなる。他方で、現在の思潮や視点それ自体の中に、「歴史」に依拠した言説もその一部として含まれており、再帰的に現在もまた構築されている。
例えば、ある共同体が「歴史」を共有することで現在の紐帯が生まれている時、その視点からの「歴史」はそれを裏付けるものとして解釈(それは時にフィクションの場合ですらある)され、それが現在をより強固なものとする、なんてこともある。
勿論、純粋な歴史学の立場で静的な歴史の真実を求めるアプローチも学問として確立されていようが、歴史学の顔をして、極めて現代的な関心でのみ、「歴史」を扱っている言説も多い。
(こうした意味で、所謂「歴史認識」の問題は、あくまで「歴史」ではなく「現代」の問題だと意識されねばなるまい。)

話が逸れた。
取り上げたかったのはこれ。
上武大学大学院の池田信夫教授のブログで、改訂された参考書「日本史研究」において、新たになった日本史の定説について書かれた、興味深い記事があったので、引用メモさせていただく。

・「魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。
・「任那日本府」は存在しなかった:4世紀ごろ、朝鮮半島の南部に加耶と呼ばれる小国の連合があったが、任那という統一国家はなく、日本の植民地でもなかった。これは『日本書紀』の誤った記述。
・世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない:堺市にある大仙陵古墳は、つくられた時期が仁徳天皇の在位期間と違うので、彼の墓ではありえない。被葬者が大王(おおきみ)であることは確実だが、内部調査が許されないので誰かわからない。
・「聖徳太子」は架空の人物:厩戸王という推古天皇の甥が、氏寺として斑鳩寺(のちの法隆寺)を建立したことは事実だが、彼は「皇太子」でも「摂政」でもなかった(そういう地位は当時まだなかった)。十七条の憲法をつくり、『三経義疏』を著して仏教を日本に導入した聖徳太子というのは、厩戸王の死後に成立した「太子信仰」の一種で、『日本書紀』が複数の人の業績を合成してつくった架空の理想的知識人である。紙幣に使われた有名な肖像画も、彼の肖像かどうかわからないので本書には出ていない。
・「大化の改新」は存在しなかった:645年に、中大兄皇子らが蘇我入鹿(厩戸王の家系)を謀殺する政変(乙巳の変)が起こった。しかし「改新の詔」というのは『日本書紀』に書かれているだけで、そういう改革が行なわれた証拠はない。「万世一系」というのは神話で、このように古代には複数の王家が権力抗争を繰り返していた。
・天武天皇以前に「天皇」はいなかった:私的な家長の名称である大王が「天皇」と呼ばれるようになったのは、従来は推古朝(6世紀末)とされていたが、その根拠は疑わしい。唐をまねて天皇という称号を使うようになった最古の記録は677年、天武天皇の時代の木簡である


・・・あら、あらら。
うわ、「聖徳太子」って架空の人物、ってのが歴史学の定説になってるんだ!?日本史の参考書に聖徳太子の肖像、載ってないんだ!
その他も衝撃的だなぁ。
たかだか十年二十年前に学校で習ったこと、これまで「真実」として勉強してきたことが、結構変わってますね。
いやー、興味深い。

2009/01/13

月九が観たい。

人に教わったんですが、
今クールの月九『VOICE~命なきき者の声~』のロケ地が都内某所らしい。

都内某所・・・この辺↓


・・・観たい、観たすぐる。
聞けばなんと、昨年10月4日放送の特別ドラマ『ガリレオΦ』も都内某所だったらしいじゃないか!?

観たひ・・・。
郷愁に駆られますなぁ。

とある本屋のHPのトップ

まぁ、ロシアにいると、何で?と思うような日本語の使われ方に出会うときがある。
まぁ、日本料理店が街のそこかしこにあり、車を始め日本製の工業製品に溢れる、一方で、実際の日本人はそれほど多くない等、実態として良く分からない神秘の国の、漢字というこれまた不思議な表意文字を含んだ日本語を、その意味深く考えることなく、デザインとして、或いは意匠化して用いる気持ちは分からんでもない。
まぁ、日本でTシャツやそこらに意味不明な英語を並べ立てているのと同じレベルと考えれば、納得がいく。
まぁ、とはいえ、奇異な感は否めない。
まぁ、そんなんばかりで、食傷気味、もういいよ、という感じではあるのだが、そんな一例をメモしておく。


モスクワにBritanniaという名前の外国書籍専門の書店がある。
外国書籍専門店と言っても、名前から察する通りほとんどは英語であり、あとはドイツ語、フランス語等西欧言語が若干、日本語はない。しかも、多くは語学テキストであり、一般書籍はそれほど多くはない。
とはいえ、経済等の英語のテキスト類や文学作品等もあり、真面目な本屋さんである。
その外国書籍専門店BritanniaのHPがこれである。
念のため、トップページ背景から関連部分を貼り付けておく。


えー、一体何なんでしょう?
とまぁ、そこでググってみる。

・・・ありました。
山野楽器のHPから。
1999年、同時発売のシングル3作を全てオリコントップ10に送り込むという衝撃的なデビューを飾ったDIR EN GREY。


・・・何故DIR EN GREY??
ロシアで、有名なのか??
この一文を何故引っ張ったんだ??
いや、それ以前にここはCDショップじゃない、しかも日本の書籍すら売ってない。
日本の場合、このレベルの書店等なら、ある程度引用する言葉にも懲りそうな気がするのだが。

2009/01/06

ランディ・パウシュ氏のスピーチ

ランディ・パウシュ氏のカーネギー・メロン大学の卒業生に向けたスピーチです。
たった6分足らずのスピーチですが、感動しました。




上記動画のポップアップのリンクでYou Tube行くと、関連動画で下リンクの本になっているカーネギー・メロン大学での特別講義「最後の講義」も観られます。

この本、日本から取り寄せました。究極に凹んだときに観ようと思ってまだ観てませんが。

一生懸命、生きたいと思います。

ランディ・パウシュ氏のご冥福をお祈りいたします。

それでも新自由主義。

一斉に新自由主義反対の狼煙が上がっている。
しかし、では社会主義的な政策を行っていたら、現在の危機は起こっていなかったか、と考えると、酷く心もとない。(というか財政が耐え切れるかというあたりが。。。)
むしろ、「改革を進めてこなかったからだ」とか「旧態依然の体質がいけない」とか言われるのが落ちではないだろうか。
メディア含めて新自由主義改革を声高に叫んだ小泉時代が単なるブームだったと批判しているように、現在の新自由主義改革批判も危機が去れば単なるブームだった、なんてこともあるかもしれない。
経済は好景気不景気必ずあるのだから(今回の経済危機は「100年に1度」でそのレベルに収まらないとも言われているけれど、)目の前の現実にのみ合わせて時々の言説に流れるのでなく、長期的な視点も必要と思うのだが。

この問題、新自由主義が良いのか悪いのか、勉強不足もあって、うまく自分の考えをまとめられていないのだが、取り敢えずメモしておく。

今のところの、私の立場としては、
新自由主義的な改革は方向性としてはやはり必要であるが、具体的な個別の政策についてはその負の側面を補うことが必要で、慎重な検討を要する。
経済政策としての新自由主義的な改革と、現在の行政の無駄・矛盾の改革が、両方とも「小さな政府」という言葉で進められてきたが、これは分けて考えるべきだ。(例えば郵政民営化は、民営化という自由主義的改革の側面と、一連の道路公団を初めとした諸々の特殊法人等への財源としての財政投融資の改革という側面がある。)
というもの。

例えば、昨今、喧しい雇用の問題。
小泉改革時代の派遣労働の製造業までの拡大は間違いであった、派遣切りをする大企業は許せない、という論調になっているけれど、では、当時派遣労働の製造業の解禁をしていなければ、現在の雇用問題は発生していなかったのだろうか。むしろ、派遣、正社員の別なく、リストラが吹き荒れただけだと思うのだが。
しかも、日本の場合、法律よりも判例上という説も有るが、正社員の解雇は相当難しい。よって、派遣という雇用形態がなかったら、失われた10年を潜り抜けたばかりの日本で、企業は雇用を極力増やそうとせず、2000年以降の失業率の低下はなかった可能性もあるのではないか。
今後、厳しい経済情勢を背景にリストラは正社員にも及ぶことになるだろうが、経済的な危機を体感した企業は、解雇が厳しければ厳しいほど、ますます次の雇用に慎重になるだろう。
そもそも、「経済情勢が厳しくなれば解雇するのが当たり前だ」という捉え方がおかしい、という批判はあろうし、解雇しないことを前提に話ができればそれは素晴らしいが、実際そうしないと企業自体が潰れてしまっては更に悪いスパイラルに陥るのではないか。
高度成長期のような、「一社懸命」終身雇用を前提とした社会が成り立たなくなっている以上、寧ろ、正社員も含めて解雇を容易にし、労働市場の流動性を高めるべきだ、という言説の方が現実的な気がする。
他方で、小泉改革当時も必要が叫ばれていたセーフティネットの整備は十分だったか、というと明らかに十分でなかった。現在の派遣切りが問題になっているのは、同時に進めるべきであった、流動性を高めた労働市場の結果として生まれる齟齬や失敗に対応するだけの制度を構築できていなかったことに有ろう。
思うに、派遣労働の解禁は方向性としては、労働市場の流動性を高める意味で間違いではなかったが、程度が中途半端で、かつ同時に進めるべきセーフティーネットの整備を怠ったという意味で至らなないものだった。
つまり、新自由主義的な改革それ自体が間違っていたのではなく、同時に行わなければならなかった、補完的意味での「再チャレンジできる社会」の構築に失敗した、ということではないだろうか。

それから、政府の無駄・矛盾について。
最近の新自由主義の反発、修正は(私としては上記の通りのそれほどうまくはいかないのでは、と懐疑的だが)うまくいくのであれば、それに越したことはないと思う。ただ、心配なのはそうした言説が、政府の無駄・矛盾の具体的には無駄な規制や非効率の温存に使われてしまいそうなことだ。
例えば、郵政民営化についても、財政投融資の財源として特殊法人等へ流れていたお金の元を断つ、という改革の側面があった。それが新自由主義的、つまり民営化という手段と親和的であった、ということだが、仮に、民営化しなかったとしても、それらの非効率は改革する必要があり、他の手段での改革はいずれにせよ必要であったろう。そこで、新自由主義がイケナイ、となれば、そうした改革が進まなくなる恐れがある。
つまり、行政の無駄の解消は、新自由主義の改革を手段として進めやすかったが、他の手段で行うにせよ必ずやらねばならず、新自由主義が反対されることで、改革自体が忘れ去られてはならない、と思う。
あと、昨今の建築基準法、金融商品取引法に代表されるようなコンプライアンス不況を引き起こすような無駄な規制もそうだろう。今度の、薬のネット販売規制も、ドラッグストアでなら(確かに「対面」はするけど)一言も交わさずとも買える商品が買えなくなる、ってやっぱり不自然だよね。

取り敢えず、こんなところで。

2009/01/04

シュレーディンガーの猫と構築主義

極解と無理を承知の上で、最早単なる言葉遊びとしつつ、強引に思考実験してみる。

最近知ったのだが、量子力学の世界で"シュレディンガーの猫"と呼ばれるパラドックスがある。
簡単に言うと、
蓋のついた箱の中に生きた猫と、放射性物質、そして放射性物質がアルファ崩壊を起こすと青酸カリが発生する装置を入れる。一定時間後に観察者が蓋を開けた時、放射性物質のアルファ崩壊の有無で猫の生死が決まっているはずである。ところで、アルファ崩壊を起こすか否かは量子力学では確率的にしか示すことが出来ず、崩壊した状態と崩壊していない状態が「重なり合って」存在しうるとされている。では、箱を開ける前の状態はどのようなものかといえば、崩壊した状態と崩壊していない状態が「重なり合って」存在しているとすると、猫も死んだ状態と生きた状態が「重なり合って」存在していることになる。つまり、ミクロなレベルでの確率解釈をマクロなレベルに結びつけると異常な結論となってしまう、
ということらしい。

色々な解釈がなされていて非常に面白い、例えば、そもそも量子及び量子から構成される全てのものは存在の濃淡があるのみでこのような議論自体に意味がない、とか、量子は波と粒子の形態の転換が起こるので、「重なり合って」いるという解釈が間違い、とか。
私は門外漢なので、このパラドックスの理解も浅いだろうし、議論の中身は置くとして、興味を惹かれたのが、コペンハーゲン派の解釈、といわれるもの。
これによれば、観測者が箱を開けて観測を行った瞬間、その猫の状態群が一つの状態に収束するというもの、つまり、観測者の役割を積極的に評価し、観測時点までは確率的な存在である、ということになる。
この観察という点についても様々な解釈があるようで、繰り返すが、その妥当性は置くとして、"観察されるまでは状態が収束していない"という発想自体が非常に面白かった。


ここで勝手に連想されたのが、所謂ところの"構築主義"である。wikiから引用すると、
社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義、social constructionism or social constructivism)とは、現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場である。
ということなのだが、しばしば例示されるのがジェンダーの概念である。生物学上の性差の実態以上に、「男らしさ」「女らしさ」は人々の現実認識によって社会的、文化的、歴史的に構築されているし、それをもとにした社会がシステムとして、更に再生産を繰り返している。
あとは、『もし人が状況を真実であると決めれば、その状況は結果において真実である』というトマスの公理、そしてマートンの預言の自己成就も想起させられる。人は実際の現実のみでなく、他の人々がその現実にどう意味づけするか、に対して反応するし、その反応によって、更に現実が生み出されうる。

ここに、観察者の視点を導入すれば、観察される社会的な事実や事象は、実在するものであるが、観察者の側にそれを理解する意味や論理が備わっていなければ、真の意味でそれを解釈することは出来ないということになる。
例えば、外国人が日本に来た時を考えると、"おじぎ"という習慣一つとっても、それを知らなければ理解することができない。つまり、人と会った時にお辞儀をするという社会現象は、それを行う日本人が頭の中で意味を共有して作り出されたものである、ということだろう。
また観察者の立場との対比は歴史の解釈について端的に言える。エジプトのピラミッドは何のために作られたのか、観察者である我々は、当時の人々の意味を正確に理解できない以上、そこにあるのは解釈だけである。


さて、この二つを強引に対置させてみる。
シュレーディンガーの猫では、観察者が観察することで、現実が収束するとしているとする、他方で、構築主義において、観察者を想定するならば、観察者がその現象の一員でない限り、その現実を解釈することしか出来ない。
逆に、シュレーディンガーの猫においても現実を解釈することしか出来ないし、構築主義においては数多の現実を観察者が観察することで現実として収束させている、とも捉えうるかもしれない。
また、別の視点から言えば、観察者は純粋な観察者足り得ない、ということでもある。観察者自身がその人自身の解釈を持ってしまう、言うなれば観察者自身もその現実の一部であるという限定性から逃れることができない。
(話がそれるが、そう考えると、マスコミの「客観的報道」は究極的には無理な話で、それを意識した上で、如何に客観性を担保するか常に心を砕かねばならない。あまりに無条件に客観的だと自己認識するマスゴミが多すぎる。)


さて、これをもって、何を言いたいかというと、「てかさぁ,なぜ年が変わったからって「おめでとう」なんだ?」という疑問にマジレスを試みたいのだ。
そもそも「年が変わる」という制度自体が社会的に構築されたもので、洋の東西を問わず、西暦以外の暦は色々あるし(日本にも皇紀とか)、この日を1月1日に設定する必然性もない。
そして、社会的に構築された暦という制度に対して、「おめでたい」という意識自体も社会的に構築されたものであって、人が状況をめでたい、と決めれることで、結果において「めでたく」なっている。
つまり、年が変わって「おめでたい」のは誰しもが「おめでたい」と思うことで、「おめでたい」という現実に収束しているから、だと思う。
トートロジーに陥っている気もするが。
例えば数百年後、地球を離れた人類が、太陽系のない、つまり1年とか1日という周期がない場所で、現在を歴史として観察すれば、何を祝っているのか理解できないだろうし、さらに「祝う」という概念を喪失した世界から見れば、お祭り騒ぎが一体何なのかは理解できない。我々は年越し、というイベントをすべからく共有することで、現実を「おめでたい」ものとして収束させている、のかもしれない。


参考サイト
シュレーディンガーの猫について
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/catwja.htm
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060618/1150590590
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/column5.html
構築主義について
http://d.hatena.ne.jp/Waki/20081215/p1

2009/01/02

年頭に当たって―抱負

なんとしても日本に帰る。

禁煙。


本年が幸多き一年となりますよう。
2009年元日 モスクワにて
mit