2009/11/20

事業を仕分けてどんな国家をつくりたいのか。(1)

行政刷新会議による事業仕分けが進んでいる。
自民党では到底無理だった革新的手法で、あるいは公開の場で議論が行われ、無駄が省かれつつある、と高く評価される一方で、1時間の議論で何がわかるのか、そもそもどの事業を仕分けするのか財務省の恣意的判断によっている、等の最もな批判も多い。
例えば、
事業仕分けという人民裁判池田信夫 blog
事業仕分けへの批判に異議あり!霞が関牽制の意味は大きい 週間 上杉隆(Diamond online)
などが、興味深かった。

さて、私もこれは大きな改革の始まりになり得る可能性を秘めた会議だと評価できるし、個別の問題で改善するところは多々あると思が、それ以前に気になった点がある。
思うに、「事業仕分け」の結果どんな国家をつくりたいのか、といった、大きなビジョンがどこにも語られていないことではないことが、一番の問題ではないだろうか。
個別の議論をするのはよしとしても、俯瞰的な視点が欠けているように思われるのだ。

今回の事業仕分けでは、以下の五つが評価項目(asahi.com)として挙がっている。
(1)事業が必要か
(2)国が担わないといけないか
(3)来年度予算に盛り込むべきか
(4)事業内容や組織、制度などに改革の余地はあるか
(5)予算額は妥当か
確かに、個々の事業の必要性について論じるのは勿論大事なことであろう。

しかし、これらの基準はあくまで個別の基準であって、その上に国全体としてどの分野をどう戦略的に強化するのか、という段階の基準があるべきだろう。
「事業が必要か」という問いだけでは、「誰にとって」「どの程度」「何のために」必要かが極めて曖昧である。
一般的な現在の社会通念に照らして、その政策が「明らかに不必要」と即断できるのであれば、そもそも、流石に中止されている。
一般に国が行う事業は程度の差はあれ少なくとも「ないよりはあったほうがいい」ものがほとんどだろう。
少なくとも、その施策によって便益を得ている(言い方が悪ければ、それに助けられている)人たちは必ずいる。
時に明らかに全体として有害でも、一部の人にとっては大きな利益となっている(つまり、一度発生した便益はそれを握る人の既得権益となり、その一部の権力の強さによって残されている)ものもあろう。

そして、そうした利益を得ている(言い方が悪ければ、政策対象の)人たちからは、削減や見直しについて、必ず反発が起こるであろう。
実際、事業仕分けはまさに「総論賛成各論反対」状況で、各決定に対してそれぞれの分野から反発が起きている。
文部科学省や経済産業省が国民の声を募る(asahi.com)として、意見募集をかけているが、
それぞれの分野にそれぞれ関心をもつ国民は必ずいるだろうし、様々な反論にはいちいち最もなものも多い。
無限の財源があるなら全てに拠出したいところだ。

しかし、当然ながら財源には限りがあり、それどころか、日本は負債を抱える国家でもある。
その上、自然に今後も経済成長を続けられるなんて楽観できる状況ではない。
「あれも、これも」は無理なのだ。
で、あるならば、個別の事業評価の前に、どの方面の事業に力を入れていくのか、ひいてはどんな国を目指すのか、の基準が明確である必要があるのではないか。
しかし、個別の事業を並べて、順番に評価を下していくだけでは、そうしたもっと大きい次元でのデザインがまったく見えてこない。
さらに言えば、これには、その事業が必要な人がいたとしてもそうした大方針に沿わないものは切る、という覚悟も求められる。
そうしたビジョンを提示し覚悟を示す事こそ、政治家の役割だろう。

いくつか個別の例を取り上げたい、例えば、医師確保、救急・周産期対策の補助金等について、補助金が有効に活用されていない、という観点から削減が決まった(刷新会議評価コメント(PDF))
これに対して猪瀬氏が反論(nikkei BP net)しているが、これも非常に最もな気がする。
私にはこの問題の妥当性は分からないが、こうした個別の評価や必要性を検討し見直していくことは非常に大事だし、他方で実際に必要としている人の反論に耳を傾けることも必要だろう。
とは言え気になるのは、この削減について、今後の福祉をどんな形にしていくのか、という視点が感じられないことだ。

仮に削減が、医療の世界でも(ステレオタイプとして)「アメリカ」型の自己責任社会を目指します、というのならそれもいいだろう。
或いは「周産期医療」を犠牲にしてでも、「高齢者医療」を充実させようというようなコンセンサスがあってやるなら(当然私個人は反対だけれど論理として)それはそれでいいだろう。
または、もう国家財政危機なので、ありとあらゆるものを徹底的に削る、というような方針でもいい。
ここの評価シートだけでそこまで求めるわけではないが、ワーキンググループ全体、または鳩山政権の方針としてビジョンがないように思うのだ。

或いは、スパコンについて、見送りに限りなく近い縮減との評価が下された(刷新会議評価コメント(PDF))。
スパコンなしに今後の科学技術立国はありえない、といった批判が、様々な方面から相次いでいる。
「2位でもいいじゃないのか」の議論には、スパコンのみならず、今後の日本の科学技術に対するアプローチ方向を示唆するニュアンスがあるが、そこまで考えられた議論だったのだろうか。
仮に、今後の日本は科学技術立国を目指すよりは福祉を優先する、経済成長を目指すのをやめることもできるだろう、縮小均衡でいいのではないか・・・等の大方針の下に決まったのならばそれもいいだろう。
評価コメントのなかで「スパコンの国家戦略を再構築」するよう指摘されているが、科学分野全体の国家戦略によって、その位置づけは大きく変わってしまうだろう。

同じく科学分野で、GXロケットの開発について「ロケットがどうなるか分からないのに、エンジン開発に何十億円もかける意味があるのか」との意見があったが(Yomiuri online)、今後、どの程度本気で日本が宇宙を目指すのか次第では、「ロケットをどうにかするためにも、エンジン開発を続けることが必要だ」といったロジックも有り得るのではないか。
そもそも今後の日本の中で「科学技術」をどの程度の優先に置くのか、その上で科学技術の国家戦略の中でスパコン、ロケットをどう位置づけるか、という大枠も必要であろう。
なお、スパコンについて以下の指摘が示唆的であった。
沈没した「スパコンの戦艦大和」 (池田信夫 blog)
スーパーコンピューターを復活してほしい - 西 和彦 (アゴラ)
池田信夫 対 西和彦(アゴラ)
スパコン保護政策がIT業界をだめにする - 池田信夫(アゴラ)


(長くなったので次のエントリーに続きます。)

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