2009/10/25

小室哲哉『罪と音楽』



詐欺事件での逮捕を契機に、小室哲哉がデビューからこれまでを振り返りつつ、その心情を纏めたエッセイ。
裁判の過程を追いつつ自らの胸のうちを吐露する流れをベースに、自らの音楽論を織り交ぜて語っている。

一見、出版の時期的にも、事件に関しての自己弁護、あるいは自己批判の類の本かと思われそうだが、
事件自体について委細に語るものではなく、寧ろ、自らの主観を客観的に描く自省の書といった面持ち。
通底しているのは、音楽に対する真摯な思いであり、本書を通じて、自らそれを再確認しているようだ。
階段を上り詰めた天才が坂道を転げ落ちる、その過程の内面を読む、という意味で非常に興味深い。

或いは、音楽に関心がある人には、ユニークな音楽論の本としても楽しめるだろう。
70年代から00年代までの音楽の変遷、その過程での文化や風潮の変化、技術の進歩。
70年代以降の世代では、ゲーム等を通じてクリック、一定のリズムを感じる意識が自然と染み付いているとの指摘や、時と共に曲や詩に込められる意味の増加・加速化、或いは、過度の幼稚化傾向、また倍音の含み具合で決まるボーカリストの資質としての声質の話など、非常におもしろかった。
ミスチル、B'z、宇多田ヒカル、コブクロ等など、様々なアーティストの評、またはそうしたアーティストとの音楽性の関係にも触れている。

小室さんは本書の中で自らを「音楽家」あるいは「"大衆"音楽家」と自己定義する。
作曲するとき「曲は空から降ってくるもの」という一方で、その精緻なマーケットの分析、時代の潮流を読むセンスは驚くべきもので、「売れる」音楽を創り出す天才でもあった。
音楽が全てである喜びと同時に、ヒットを次々と世に送り出してきたまさに絶頂の時代に、強迫観念に似た何かに苦悩する様子も描かれる。
やはりそのアンバランスの中に今回の事件の下地があったのではないだろうか。
よくある「芸術と金」の陥穽にはまってしまっただけ、とか、「芸術家は自己管理ができないから」などと言ってしまうのは簡単だけれど、一人の芸術家が葛藤した軌跡の手記はリアル。

最後の今後の展望に(若干実現困難そうな構想を明らかにしていて、大丈夫か、とも思うのだが、)希望を抱かされる。
新しい小室さんの音楽が聴ける日が楽しみだ。

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