2008/12/24

風呂敷の文化

イギリスのThe Daily Telegraph紙に以下のような記事が出ていました。

Telegraph.co.uk 22.Dec.2008
Government recommends people to replace wrapping paper with pieces of old cloth

記事中、クリスマスのプレゼントのラッピングの紙がもったいないので、リサイクルできるもので包みましょう、という文脈で日本の風呂敷が紹介されています。
(関連部分抜粋)
And so the Waste and Resources Action Programme (WRAP) is advising people to take on a Japanese tradition by using old pieces of cloth instead.
(中略)
WRAP is advising people to buy wrapping paper made from recycled material that can be recycled again.
Even better is old newspapers and magazines, reusing wrapping paper from last year or old scraps of cloth like the Japanese.
The art of wrapping presents with cloth is known as Furoshiki.
Like Origami, the Japanese art of folding paper, it uses certain folds to make presents look attractive. The old cloth can be used again or be part of the present if it is a scarf or pashmina.
There is a demonstration on the website http://www.recyclenow.com/ showing people how to wrap chocolates, bottles or books.

日本の風呂敷はold(古布)でもpieces of cloth或いはscrap of cloth(切れ端)でもなく、風呂敷は風呂敷として作られるものだと思うんですけど、とか、
これだと風呂敷ごとプレゼントするような印象を受けるんですけど(風呂敷ごと渡すと、お礼を包んで返せ、って意味になってしまうので、包みを解いて中身だけ渡すのが礼儀)、
とか突っ込みはおくとして、日本の文化って元々地球に優しいものが多いんですかね。
マータイさんの「もったいない」の精神でしょうか。
(まぁ、どの文化とどう比較するかにもよるし、いくつか例を取り上げて文化全体が地球に優しいとは言えませんが。)

以前、ロシア人の前で包装紙を開いた時に、テープを綺麗に剥がして、かつ、包装紙を綺麗に畳んだところ、
「日本人てみんな、そうするよね。几帳面に。」
といたく感じ入られてしまいました。
いやぁ、俺が細かいだけだよ、と気にも留めませんでしたが、今思うと、こういう日常の細かい動作に文化の精神が表れていたのかも知れません。

記事中に紹介されているサイトの、風呂敷で包んでいるの動画がこちら。


Furoshiki gift wrapping from RecycleNow on Vimeo

何が、って言われると分からんが、何かすごいな。
一升瓶包んでるのとか、お洒落、というか「粋」ですね。
風呂敷ってそのものの柄自体も生きてきますし。
そういえば、実家では風呂敷使われてた気がするなぁ。。。

で、この記事を読んでいて、学年は忘れてしまったのだが、いつぞやの国語の教科書にあった、「包む」という題のエッセイのことを思い出しました。
当時、すごく印象的だったんだよね、細かい内容は忘れてしまったのだが・・・

というわけで、早速、ぐぐってみたところ、こちらのサイトに要約が載ってました。素晴らしい。
さらに簡単に要約。

・(日本では)自然の素材と中身の形態をたくみに生かした、用の美にかなうさまざまな包みが、無名の人々により長い年月をかけ洗練されてきたが、我々の普段の生活からは急速に姿を消しつつあり、ふろしきとその結びの技術もそうした失われつつある日本文化の優れた発明品の一つである。
・ふろしきは、(カバンやバックと違い)それ自体に形がないから用途や中身を問わず、不必要なときは畳めば小さくなり、幾枚あっても場所をとらないず、またのれんや敷物やぞうきんに使うこともできる。
・こうしたふろしきの思想は、空間を限定しない日本のふとんや部屋の使い方、仕立て直し変形の容易な着物にも通じている。
・(文化には両価値が同時に含まれているので、それがよいか悪いかは別として)ファッションに殊更気を遣い、贈り物の包装紙に殊更心を配る現代の日本の若者達のように、一見すると西欧文化輸入風の行動の中にも、日本の「包む」文化の伝統そのものが、したたかに生きているように思われる。
・「包む」ことは、物を保護したり保存したり移動させたりするために、世界中に見られる普遍的な行為だが、それをとりわけ大切にはぐくんできたのが日本の文化かもしれない。
・「つつむ」には、人の感情や表情を内に抑えて、外に表れないようにするという意味もあり、控えめであることを意味する「つつしむ」も「つつましい」にも通じている。わたしたちが「つまらないものですが。」「ほんのおしるしに。」と言いながら、幾重にも包まれた中身を差し出すのは、「つつしみ(慎み・謹み)」こそ、大切な心が入っているしるしだからであり、「わたしの心をこの中に包んであなたに贈ります。」と無言のうちに伝える、非言語的コミュニケーションの一つなのである。
・日本文化では、「心」は、身体と精神の二つに対立的に分割される西欧の概念とは違って、「身」の中に包まれた中身として認識されれ、日本の伝統的な容器「入れ子」のように、幾重にも包まれた形をしている。本当に大切なものは、裸でむき出しよりも、何かの中に包まれていたほうが自然で安定していると感じられるのである。

いやぁ、原典が教科書なだけに、要約してると何か国語の授業の気分になってきた。
突っ込もうと思えばいくつか突っ込みどころはあるけれど、これ、いい文章だね。
今思い返すと、国語の教科書に載ってる文章って流石に名文が多かったなぁ。
まぁ、全体的に見渡せば日教組の影響が傾向的に見られたり、時代と共にメッセージ性に変化はあるのだろうけど。

それから、基本的に私は日本文化論、日本文化特殊論的な議論は斜めから見るスタンスなのだけれど、風呂敷や着物、部屋の使い方の中に、自由さ、無限定性の思想を見出すのは面白いですね。
それによって、一つのものを多様に使う、長く使い続ける、という部分が、現代で言うところのエコの思想とマッチするんだろうね。
他方で、そうした考えが、ただ「もったいない」からとか、物がないから大切にしなきゃ、という発想からではなくて(もちろんそれもあると思うが)、もっと肯定的にある種、美学として捉えられてきたんでしょう。
ただ、包むこと自体に若干の技術がいる風呂敷がまさにそうだけど、無限定で自由だからこそ使い方は、特に粋に使いこなすのは難しい。

単に過去に戻ることは出来ないけれど、失ってきたものの中で良い所を見つけたら、現代に取り入れていくのは大事かもしれないですね。
いずれにせよ、こうして祖国の文化が外国で取り上げられて、また見直されるのは嬉しいことです。

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